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tomorrow

引きこもりのハードルとやらは年々下がって来てるように思う。というか、引きこもりの定義も曖昧になってるのではないか?そこで調べてみた。どうせ引きこもるなら由緒ある正当なヒッキーになってやろうと。
 
そこで判明したのだが、日本の引きこもりの始祖は天照大神(アマテラスオオミカミ)との説があった。日本の最高神が引きこもりとな。全てが許された気がした。余の後ろには神。
 
厚生労働省の定義では「『仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、六か月以上続けて自宅にひきこもっている状態』時々は買い物などで外出することもあるという場合も『引きこもり』に含める」とある。うむ、余は立派な引きこもりらしい。ジャンルは『自宅引きこもり』だ。
 
でも調べるうちに自らを『引きこもり』と名乗るのが何だか億劫になってきた。中には社会や人間関係から実害を受けて精神を病み、苦しみながら引きこもってる人もいるのだ。自分の場合、その理由は真正の引きこもりとして誇れるものではない。弟に養われ、テクノロジーにも囲まれ、好きなものを食べ、好きなように日々を過ごす。本当に苦しんでる引きこもりに失礼だ。
 
「と思って…」
「あ、そう。別にいいんじゃない?引きこもりと名乗って。名乗る相手もいないだろうけど」
「いや、ネットには…」
「ふ~ん」
 
夕食時、弟はそっけなかった。
 
「俺、真剣に悩んでんだよ」
「でも引きこもりをやめようって発想にはならないのね」
「……」
「いいんじゃない?俺から見れば立派な引きこもりだよ」
「いや、本当に苦しんでる引きこもりに失礼だろ」
「兄貴苦しんでないの?」
「いや苦しんでる、けど…そういう人たちと比べたら大したこと無いから」
「何で他人の苦しみと比べられんだよ。比べられたら苦労しねぇだろ」
「何で怒んだよ…」
「第一自分の傷の深さとかよく分かるね。俺とか全然分かんないけど。それ凄ぇ才能だと思うよ。ノーベル賞取れんじゃない?『心の傷の深さの測定に成功しました』って」
「……」
「あと、俺怒ってねぇから」
 
滅茶苦茶怒ってた。弟に怒られ泣きそうになる34歳自宅警備員。というか若干泣いた。自室で岡本真夜さんの『tomorrow』を聴く。涙の数だけ強くなれるんですか?全然強くなれません…。

アスファルトに生える雑草には、どんな価値があるのだろう?そんな事を考えながら、俺は今日も自宅の警備に勤しむのだ。

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