記事一覧
今日はコメントと、コメント返信の日。
noteを書く、読む、遊ぶ、コメント。
「書く」は
noteを書く時間。
「読む」は
noterさんの記事を読む時間。
スキをする時間。
書いた記事の見直しの時間も
入れちゃおう。
「遊ぶ」は
canvaやAIイラストでお絵描きして
サイトマップを作ったりして。
いちばん幅広いかも。
最近は、購入した
有料マガジンで
いっぱいオススメするのが
ひそかな楽しみ。
「コメント」
コメント
全体ビュー50万|文学トリマーと帰りたい場所。
文章を読んで「空白」を埋めなさい
問題を解くたびに
私はいつも心が重くなります
書くことでも
描くことでもない
埋めることはまるで
空白の死を意味しているみたい
無垢な空白を
埋葬しているような
悲しい気持ちになります
進路を決める時期が迫っていても
私は答えを探しつづけました
空白を埋めない
私だけの色を
就職か
進学か
2択じゃない
未来の選択肢を探し求めて
文学トリマー
「もう遅い」なんてことは絶対にないから、私はあなたの感想が読みたいです!というはなし
初めての書籍の発売から1ヶ月と少しがたった。
発売前も後も、
嬉しいことがたくさんあった。
応援してくれている人たちにお祝いをしてもらって、新しく本で出会ってくださった人もいて、重版が決まって、手をかけた本をみなさんに可愛がってもらえているようで、とても嬉しい。
でも、嬉しいことばかり、
というわけにはいかない。
やっぱり知らない世界に出ていくということは、
きついなと思うこともある。
2
10年間居場所だったnoteに寄せて
2024年明けて、1本目のnoteを書きます。今年は元旦から、みなさまには大変ご心配をおかけいたしました。能登への義援金、寄付のお申し出もぞくぞくと仲良くしてくださっているかたたちから届き、なんてありがたいんだろうとしみじみ思いました。
ただ、このnoteでは震災のことに触れません。ここではない場所で、あらためて書きたいと考えています。いま、さまざまな状況に置かれている方がいるなか、できることを
書いたって何になるのだろう?
人に嫌われたくない。家で脱毛をした。友達がいないなどと、私の頭の中を文字にしてネットに垂れ流して、一体何になるんだろう?
有名人でも何でもない、田舎に住む平凡な主婦の日記を世界に公開したところで、誰が読むんだろう?
ライターになってバリバリ稼ぎたい!というわけでもない。この世に私という人間が生きた証を!ベストセラー作家に俺はなる!とかいう野望を持ってるわけでもない。
なのに、書いてる。昔から
枯れるのもエネルギーがいるんだよ
まだまだだなぁと思う。何がって、自分が疲れてるから。
あ、とくに有益なことはこの先書いてない。戯言に付き合ってやるよって人だけに。
そういうこと言っていいの? プロだろ? お金払っていただいてお客さんに何かしらのパフォーマンス提供する人間が言うことか?
と言われたら力なくスライディング土下座するしかない。
プロなんだから体調とか、常にちゃんと書ける状態とか、パフォーマンス維持するのも仕事の
泣くことを忘れていた
泣かない子だった。
涙の理由が分からなかった。
練習をしたのだ。泣かない練習を。
泣きそうになれば、自分をツネる。視線を外して気を逸らし、別のことを考える。そうやって泣かないようにした。
いつしか、泣かない自分が出来上がっていた。
『帰ってきたドラえもん』を観ても、泣かない。『のび太の結婚前夜』を観ても、泣かない。クラスでイジメ問題があって泣いている子を見ても、泣かない。ケガをして
弱さや欠落があったとしても
友人の家に泊まり、娘さんたちとアニメのDVDを見てごはんをご馳走になった。
私がいいな、と思ったのは彼女が出した手料理が「お客さんが来たときのおもてなし」をあまり意識してなかった点。
私なら、他人に出す皿は試作をしたり、味付けをギリギリまで慎重にしてしまうだろう。彼女の味の飾らなさ、そっけなさに、救いをむしろ覚えた。
「なんだ、だったら自分もふだんから手作りごはんをそこまで躍起になり頑張らな