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他人の話をするかのように母について語る自分
私が自身の毒母と自分を切り離して、自分の人生を手に入れることができたのは、確実に良いカウンセラーの元でカウンセリングを受けたからだと思う。
それが無かったらきっと今でも路頭に迷っていたと思うし、自分の人生に絶望していたと思う。
今は母のことは、嫌いでもなく、好きでもない人で、興味がないので、会いたいという気持ちもない。
それは物理的にも、精神的にも離れているからだと思うので、同じ家に暮らして
1歩譲って人に優しく
深く傷つけられた人は、その傷を治さない限り、平凡な毎日は過ごせないと思う。
仕事も、友人関係も、恋人も、何もかも上手くやっていけなくなる。
そんな人生は苦しいね。
そんな思い通りにいかない人生に、不満が募って、リベンジするかもしれない。
そんな時に、その標的になるのは、決まってか弱きもの。
ただ、こうしてリベンジするまでに至ったこの深く傷つけられた人も、どこかで弱いものいじめをされたんだ
毒親を赦すことにこだわらなくてもいい
久しぶりにDr. Susan Forwardの『毒親の棄て方』を一部読んで、心が癒えていくのを感じた。
私はスーザンの本が毒親ジャンルの本で一番マッチしました。
きっとスーザンが、毒親と関係を修復することを無駄にお勧めしていないからだと思う。
スーザンは毒親の子側の立場になって話しているし、毒親と距離を置くことを勧めているので、絶対に毒親を救える方法なんか話さない。
私は毒親と最終的に仲良
30歳を過ぎて子供時代を経験しているシンデレラのような私
私は長らく子供オトナの毒親に、私の子供時代を奪われ、子供ながらに親の役割を担って苦しい時間を過ごしてきた。
親の役割というのは、母への精神的なサポートだ。
母は非常に不安定な人だった。(本人がそれを認めないので未だに不安定な女である。)
子供ながらに時に慰め、応援し、サポートをした。
そういったわけで変にしっかりとした子供になってしまったが、子供は子供だ。
子供時代に経験できなかったこと
唯一自分が可哀想だったと認識できるエピソード
これは、毒親関連のお話。
私が家庭の問題で一番ピークだったのは、16~17歳の頃。
17歳の時、初めてのアルバイトを経験し、アルバイト先が私の逃げ場になってた。
家にいる時間が減り、ピークだった頃に比べて楽しいことも増えた。
ただ、家庭内の問題は相変わらず悪いままだった。
18歳だった時、まだ実家で暮らしていた。
私の家は門限があり、22時までに帰らないと家に入れてもらえない。
門限
毒親のことはもうどうでもいいと思ってる子供の場合
毒親育ちには大きく分けて、2種類のタイプがいる。
・親から解き放たれたいと思う子供
・親にいつか愛されたいと思う子供
前者の場合は、だいたい親が過干渉であり、後者はその反対。
ちなみに私の母は、過干渉タイプ。だから親に愛されたいなんて思ったことは一度もない。
親の亡霊が頭に住み着いていた時期は、自分の成功=母の成功という思考になっていたので、母が憎くて嫌いでありながら、認められようとしてい
トラックドライバーの優しさ
こういう知識って、分かっていそうで分かってない。
わざわざサインを作るということは、こういうトラブルがゼロじゃないってことだよね。
それにさ、真後ろにいたら、このトラックがどれだけ長さのあるトラックか分からないもんね。
写真撮り忘れたけど、他にもこんなサインがあった。
『If you can't see my mirror, I can't see you!』
近付き過ぎたら、あなたが(