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毒親を赦すことにこだわらなくてもいい

久しぶりにDr. Susan Forwardの『毒親の棄て方』を一部読んで、心が癒えていくのを感じた。


私はスーザンの本が毒親ジャンルの本で一番マッチしました。


きっとスーザンが、毒親と関係を修復することを無駄にお勧めしていないからだと思う。



スーザンは毒親の子側の立場になって話しているし、毒親と距離を置くことを勧めているので、絶対に毒親を救える方法なんか話さない。




私は毒親と最終的に仲良くしたい、という目標は持っていません。


そうするべきであるといった固定観念も今は持っていない。



が、一時期、そういったことに対して、強い罪悪感に悩まされた。






毒親は、一見愛のあるような言葉を私に投げかけ、私の心を連れ戻そうとする。


私は幾度となくその言葉によって(騙され、)連れ戻された。




待っているのは愛という名の束縛・支配。



質が悪いのは彼ら自身が愛情だと思い込んでいること。



だから、私が彼らの愛(束縛・支配)に苦しんでいるのが、彼らにとっては不思議でしょうがない。




私は苦しみに耐えられなくなり、全力で抗議する。

彼らは裏切られたという気持ちでいっぱいになり、全力で抗議する。




結局お互い傷つくのは目に見えているので、家族と連絡を取らないことがお互いにとってベストである。


と判断し、拒否するのだが、、、


連絡を取りたがっている親や祖母に対し、冷酷非情に拒否する自分がとても酷い娘のように思え、罪悪感に悩まされる。




かと言ってそんな親を“親も可哀想な人たち”なんだと、一歩譲るということは、子供はまた自分の感情を押し殺すということだ。




そこまでいくと、自分を見失うと思う。


どれが自分の本当の気持ちで、何を自分はやりたいのか、分からなくなると思う。




しかし、最終的に私は、自分の気持ちを優先する道を選択し、罪悪感からも解放された。





母は病気だ。

でも病気だということを認めず、放置した結果、その病が暴走して子供にも悪影響を及ぼした。

私も病気になった。

でも私は自分の病気を認め、治した。

母は、相変わらず治そうとしないどころか、元々持っていた病気を、私のせいでできた病気だと責任をなすりつけ、放棄した。




そんな人、私は同情の余地もないと思っています。




今の私の心の状態は、法的には母は自分の親だという認識がありますが、心では母は他人だと思っています。


他人だと意識しているのではなく、もう母がいる感じがしていない。

なんか母というタグをつけた子供が昔いたなぁという感じです。



そんな私は今幸せですよ。

毒親からも解放されているし。



こうして毒親について書いているのは、同じ境遇の人にシェアしたいからで、母に執着しているわけではありません。



そして、毒親を赦す・赦さないは、どちらでも良いということ。


赦すことが正しく、ベストだと思っていませんし、赦さないことが間違っていて、悪だとも思っていません。



どうしたらいいかは、人に寄りけりで、自分の心がどうしたいと思っているのかがベストな答えだと思っています。

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