ピーボ

動植物に関心のある一般人。

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最近の記事

青ヶ島 じょうまん

    • 他人の話をするかのように母について語る自分

      私が自身の毒母と自分を切り離して、自分の人生を手に入れることができたのは、確実に良いカウンセラーの元でカウンセリングを受けたからだと思う。 それが無かったらきっと今でも路頭に迷っていたと思うし、自分の人生に絶望していたと思う。 今は母のことは、嫌いでもなく、好きでもない人で、興味がないので、会いたいという気持ちもない。 それは物理的にも、精神的にも離れているからだと思うので、同じ家に暮らしていたら今の心理状態でいられるかは分からないけれど。 先日、デニーズへ行った時に

      • 1歩譲って人に優しく

        深く傷つけられた人は、その傷を治さない限り、平凡な毎日は過ごせないと思う。 仕事も、友人関係も、恋人も、何もかも上手くやっていけなくなる。 そんな人生は苦しいね。 そんな思い通りにいかない人生に、不満が募って、リベンジするかもしれない。 そんな時に、その標的になるのは、決まってか弱きもの。 ただ、こうしてリベンジするまでに至ったこの深く傷つけられた人も、どこかで弱いものいじめをされたんだと思う。 上司から、親から、同僚から、などなど。。。 例え被害者であっても、

        • 毒親を赦すことにこだわらなくてもいい

          久しぶりにDr. Susan Forwardの『毒親の棄て方』を一部読んで、心が癒えていくのを感じた。 私はスーザンの本が毒親ジャンルの本で一番マッチしました。 きっとスーザンが、毒親と関係を修復することを無駄にお勧めしていないからだと思う。 スーザンは毒親の子側の立場になって話しているし、毒親と距離を置くことを勧めているので、絶対に毒親を救える方法なんか話さない。 私は毒親と最終的に仲良くしたい、という目標は持っていません。 そうするべきであるといった固定観念も今

        青ヶ島 じょうまん

          30歳を過ぎて子供時代を経験しているシンデレラのような私

          私は長らく子供オトナの毒親に、私の子供時代を奪われ、子供ながらに親の役割を担って苦しい時間を過ごしてきた。 親の役割というのは、母への精神的なサポートだ。 母は非常に不安定な人だった。(本人がそれを認めないので未だに不安定な女である。) 子供ながらに時に慰め、応援し、サポートをした。 そういったわけで変にしっかりとした子供になってしまったが、子供は子供だ。 子供時代に経験できなかったことがたくさんある。 そして今。時は30過ぎ。 父ほど離れた彼氏に毎日甘やかされ

          30歳を過ぎて子供時代を経験しているシンデレラのような私

          毒親か否か

          "俺か、俺以外か"みたいなタイトルだな。(笑) ニュースをそんなに見ないので知らなかったけど、"毒親"って言葉がブームになってるんだとか?? へぇーーー。 でも、中には自身の親について、毒親だと疑いを持ちながらも毒親と呼ぶことをためらっている人もいるのは少し可哀想だと思った。 それはハラスメント問題と似ている気がする。 例えばセクハラ問題。 「これってセクハラ?」 「いやいや、自意識過剰にも程があるでしょ。」 私自身は、セクシャルハラスメントを受けたと感じたこ

          毒親か否か

          ポッサム

          ポッサム

          友人の子

          友人の子

          唯一自分が可哀想だったと認識できるエピソード

          これは、毒親関連のお話。 私が家庭の問題で一番ピークだったのは、16~17歳の頃。 17歳の時、初めてのアルバイトを経験し、アルバイト先が私の逃げ場になってた。 家にいる時間が減り、ピークだった頃に比べて楽しいことも増えた。 ただ、家庭内の問題は相変わらず悪いままだった。 18歳だった時、まだ実家で暮らしていた。 私の家は門限があり、22時までに帰らないと家に入れてもらえない。 門限を破った時、本当に面倒くさいことになる、っていうのは子供の時から分かっている。

          唯一自分が可哀想だったと認識できるエピソード

          ❝乱横断❞とは聞き捨てならない

          主に都心で起こるのかな?? 横断歩道のない場所を渡るのは仕方のない気もする。 身体機能が失われていく中で、高齢者側に注意喚起しても無理だろうねぇ。 ちなみにアメリカでは、私が今いるエリアはそこそこ田舎のせいか、横断歩道がほとんどない。 だから高齢者に限らず、歩きの人達は、どんなに車がたくさん走っていようと、勇猛果敢(私にはそう見える。笑)に渡り歩いて行く。 でも、だいたいそういう場所は歩行者も少ない。 横断歩道がなく、歩行者が多い場合は、『AHEAD』という標識を

          ❝乱横断❞とは聞き捨てならない

          毒親のことはもうどうでもいいと思ってる子供の場合

          毒親育ちには大きく分けて、2種類のタイプがいる。 ・親から解き放たれたいと思う子供 ・親にいつか愛されたいと思う子供 前者の場合は、だいたい親が過干渉であり、後者はその反対。 ちなみに私の母は、過干渉タイプ。だから親に愛されたいなんて思ったことは一度もない。 親の亡霊が頭に住み着いていた時期は、自分の成功=母の成功という思考になっていたので、母が憎くて嫌いでありながら、認められようとしていたところはあった。 でも、母も大変だったのだ、だから私に酷いことをしたのは仕方

          毒親のことはもうどうでもいいと思ってる子供の場合

          「悲しいです。」その一言で救われる毒親育ち

          彼と、"日本人の謝罪の多さについて"の話から、かなり飛躍して私の毒母の話になった時。 私の毒母は絶対に謝らない人でした。 私はそんな母に対して、小学校3年生の時に、母に言ったんです。 「お母さんの辞書には、"ごめんなさい"って言葉がないよね!」 母に対する不満が爆発して、出た言葉でした。 今となっちゃ笑い話なんで、おもしろエピソードを話すような感覚で、「そういえばさ~」ってうちの彼に話しました。 優しく、何でも自由に、好きなことをさせてくれた両親の下で育った彼は、

          「悲しいです。」その一言で救われる毒親育ち

          外国で、色んな想いを込めて歌った1曲。

          私は今アメリカに滞在しています。 今日は、ビールが飲みたくて、バーに入った。 土曜日ということで、その店ではカラオケのイベントがあった。 私は、歌は好きな方だけど、30を過ぎてから、声が思うように出なくなって人前で歌うことはあまりしなくなった。 だから歌うなんて考えられなかったね。 英語もろくに話せないのにさ。 最初にギネス・ブロンド・ラガー、次にグースアイランド312、その後はサミュエル・アダムス・ラガーを飲んだ。(ラガー好きです) 3杯も飲むと、そして、音楽

          外国で、色んな想いを込めて歌った1曲。

          リス1号

          リス1号

          毒母の断ち方

          毒母の断ち方

          トラックドライバーの優しさ

          こういう知識って、分かっていそうで分かってない。 わざわざサインを作るということは、こういうトラブルがゼロじゃないってことだよね。 それにさ、真後ろにいたら、このトラックがどれだけ長さのあるトラックか分からないもんね。 写真撮り忘れたけど、他にもこんなサインがあった。 『If you can't see my mirror, I can't see you!』 近付き過ぎたら、あなたが(後ろに)いるかどうか分かりませんってことだよね。 私はこんなこと知らなかった。

          トラックドライバーの優しさ