「昼寝」というメンテナンス
みなさん、こんにちは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
すっきりした「晴れ」ではなく、どちらかというと、雲と湿度が多めの「晴れ」が続いていますが、みなさんは体調を崩されたりしていませんか?
天気は、人間の力でコントロールできるものではないので、この気候に慣れるために、熱さ・熱中症対策を万全に日々を過ごしているのですが、疲れを感じたら無理せずに休憩したいですね。
何をするにも、まずは身体が資本になりますので、丁寧に自分の体を労って過ごしたいです。
みなさんは、普段から「昼寝」はされますか?
就業時には、そう簡単にはできませんが、土日の楽しみが「昼寝」だとおっしゃる方もいるかもしれないですね。
一部企業などでは、わざわざ「昼寝」の時間を取られているほどに、この時間を大切にされていることがあります。
私も、この春からですが、改めて「昼寝」の魅力にハマった一人です。
「考えること」「感じること」が麻痺しかけた時の、メンテナンス時間だと、思えたからです。
🌃
私は、就業していた時の土日に、昼寝をしていたことは滅多にありませんでした。
この春からは、自分の過ごす環境や、人間関係がガラっと変化して、今の環境に慣れるために、前だけを見て走り続けました。
走り続けたおかげで、最近は環境にも、人間関係の距離感にも慣れてきたのですが、それと同時に「昼寝」の頻度も多くなったのです。
4月の終わり辺りから、この時間が急に増えてきて、以降、1週間~2週間に1度、昼寝をしているように思います。
この時間が増え始めた当初は、とても困りました。
「やりたいことがやっとできるような環境になったのに、なんで昼寝してしまうんだー?!」という、上手く体調をコントロールできない不満と、「早く自分がやりたいことに取りかからなきゃ」という焦りで、いっぱいだったのだと思います。
特に、お昼が終わった後に、すぐに眠くなることが多かったです。
最初は、バトルアクション系のゲーム実況動画を見たり、デスヴォイスだらけのヘヴィメタルを連続して聴いて、頑張って自分を寝させないようにしようと努力していました。
さらにハイレゾ対応のヘッドホンまで被って「寝てる場合じゃないぞー!」と、自分に起きているように意識させていたのです。
ところが不思議なことに、それらを視聴し終えた後になって、急に眠気に襲われ、結局「寝落ち」してしまうことが続きました。
これではなんのために、眠気を吹き飛ばすために、激しい表現の動画を見たり、音楽を聴いているのかが分かりません。
「ああでもない」「こうでもない」と考えた結果、
そもそも「頑張るために、眠気を吹き飛ばす」という考え方が、自分の生活様式に、あってないのではないだろうか?
と考え至ったのです。
そこから、自分と「昼寝」の関係について、改めて考え直すことにしてみました。
🌃
私は「昼寝」の時間が嫌いでした。
ご経験のある方がいらっしゃるかも知れませんが、私は昼寝してしまうと、夜に寝られなくなるのです。
「昼寝」をしてしまった日には、そのことで落ち込むことがよくありました。
「明日仕事なのに、昼寝をしたせいで、寝られない!」
とか
「昼寝してしまって、寝られないどころか、明日朝が絶対しんどい・・・」
と、心配しながら眠ることになるからです。
眠くなるのは、生理的現象で「仕方のないこと」なのですが、それでも、眠気に負けて寝てしまう自分が、
「やりたいことを眠気でできなくなる意志の弱さ」
「体力のないダメダメな奴」
として、見ていました。
「昼寝」することで、「自分は時間を有効に使えないダメ人間」なのだ
と、無意識に思っていたのだと思います。
○
ただ「昼寝」の時間があって、よかったと思えることもありました。
個人的に
自分の呼吸にのみ、集中することができる
遠くの景色を眺めていられる
頭の中の考えが、ある程度整理される
という点が「昼寝って、そんなに悪くないな」と思えるきっかけになったのです。
私は昼寝をする時、窓の外が見える位置で寝ます。
羽布団を下にして寝頃んだ時、最初に目に映るのは深い緑の山々で、深呼吸しながら眺めています。
うとうとして眠りに落ち、次に目を醒ました時に、重みを感じていた頭の考えが、少し軽くなっているのです。
また「考えること」や「感じること」を楽しめる状態に戻るのです。
「疲れることをするから、昼寝をしたくなるくらいに、眠たくなるんだ」と考えていたのですが、
「考えること」や「感じること」を楽しめるように、昼寝をして「楽しい」と感じられる身体を維持していきたいんだな
と、思ったのです。
自分にとっての「楽しいこと」でも「嬉しいこと」でも、外から入ってくるという点に置いて、自分以外から刺激を受けることになります。
それが例え、日頃から慣れているものであっても、何らかの刺激を受けることになり、良くも悪くも身体に負荷がかかります。
「嬉しくて舞い上がった」「悲しくて号泣した」「イライラして怒った」「楽しくてワクワクした」といった、実生活の行動には「刺激」がついて回ります。
普段は何とも感じないし、無意識に刺激を上手く流していることがあるのでしょうけれど、どうしてもそうした「刺激」を受け止めるには、心身共に許容範囲を超えることがあります。
そうした時に、私の場合、「考えること」や「感じること」に対して麻痺してしまうのです。
何も考えることができなくなったり、何も感じることができなくなったりして、ただ自分の行動を「自動的」にしてしまうことが起きた時に、身体は「昼寝」を欲しているのではないかと、思ったのです。
体のほうから、
「考えること」「感じること」の鮮度が落ちてますよー!一度メンテナンスお願いしまーす!
お知らせしてくれているといった、感じです。
「体力のないダメ人間」と思っていたのですが、ダメどころか、
自分の心身の状態を整えるために、私の身体がしっかり「疲れ」に反応するからこそ、それを癒すために「昼寝」に導かれる
と考えると、なんだか
日々頑張っている自分の身体が、愛しいと感じる
ようになったのでした。
🌃
私は今日も30分ほど昼寝をしました。
そのおかげで、新鮮な気持ちでまたnoteを更新することが「楽しい」「嬉しい」と心身が一体となって、感じることができています。
私がこうありたいと思っている、自分の状態の一つに、
「考えること」「感じること」を「楽しい」と感じられること
があります。
頭では、自分がどういう状態に持って行けばそう感じられるだろうかと考えたのですが、こればかりは身体のほうが、その方法を分かっていたのです。
「考えること」「感じること」を楽しむために、昼寝をする。
身体がそうして、信号を発信してきた時は、逆らわずに眠ろうと思います。
身体も、自分の一部です。
心の声を聴いてあげるだけではなく、身体の声にも丁寧に耳を傾けていきたいと思います。
🌃
トップ画像は すい様 からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからの、「スキ」「コメント」「フォロー」「サポート」も、私が「楽しい」「嬉しい」と思えるものです!
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、いい昼寝日和を!
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