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エッセイ

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本当はかみ合っていない「ありがとう」の応酬

本当はかみ合っていない「ありがとう」の応酬

どんなに大切で仲のいい相手でもムッとすることがある。

といっても、その心のもやもやの原因はパッとは分からない。「なんだか不快だった」そんなものだろう。

そこから考えてみて時間がたってはじめて「ああ、そういうことか」と言語化できるようになる。

私も先日気付いたことがあるのでここでシェアしようと思う。

1人になりたい私私は恋人ととても良好な関係にある。

私が不機嫌になることはたびたびあるもの

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やる気が起きない時は娯楽でもいいから動き続ける

やる気が起きない時は娯楽でもいいから動き続ける

最近、やはり人は頭と身体と心でできている三位一体なのだなと感じる。

どんなに頭で分かっていても身体が疲れていたり不調を訴えていると動けなくなるし、身体が大丈夫だと思っていてもどうにも気乗りせず心がついていかなかったりする。

自制する自我は大事だけれど、それだけではどうにもならない。

頭で考えて分からないことこのところ、どうにも新しいことにチャレンジする気持ちが湧かない。

やりたいことリスト

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何の気無しに他者を侵している人が多い

何の気無しに他者を侵している人が多い

ある程度近い関係になると、馴れ馴れしくなる人というのは多い。

親しげに接するのはよいことなのだが、あたかも自分の所有物かのような振る舞いをする人がいる。

近くなったことで相手のものが自分のものになったかのように錯覚するのだろうか。

自分のことのように思う心他人は他人と割り切るよりも、自分のことのように考えられる人の方が人間味があって魅力的なのは事実だ。

自分のことのように思うのは思いやりや

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仲がいいほどに感じる不満がある

仲がいいほどに感じる不満がある

最近はとても平和で幸せな日常を過ごしている。

2020年もよい1年だった。

この秋からは大切に思える人と過ごし、優しさをたくさん受けている。

しかし、この幸せを享受する日々がただただ多幸感で溢れているかと言うとそうでもないのだから、贅沢な話である。

幸せな時の心理状態幸せな状態にある時、些細なことさえもとても嬉しいことのように感じる。

「小さな幸せ」「日常がある幸せ」と呼ばれる類で、特別

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優しい人って案外希少かもしれないからもっと誇ってほしい

優しい人って案外希少かもしれないからもっと誇ってほしい

優しくしない、利己的な人がいる。

私は利他的な行動が回り回って自分によい結果を齎すと思っているので、彼らを理解できない存在だと思っていた。

彼らは他人に優しくする余裕がないとか、優しくされてこなかった人なのだと思い込んでいたのだ。

しかし、それはどうも違うかもしれないと最近になって気づいた。

優先度の問題彼らは特定の人に対して優しさを発揮できる。

社会的に他者と関わり、交流し、心を交わす

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優柔不断に巻き込んで時間を奪わない

優柔不断に巻き込んで時間を奪わない

自分1人の自由さと楽さを一度知ってしまうと、他者との共生生活に嫌気がさしたりする。

「1人が楽だ」

そう言って他人との付き合いはほどほどにする人がいるのは事実である。

もちろん私は誰かと関わっていることの方が好きだし、1人では経験できない嬉しさも知っているから嫌にはならないけれど、最近ムッとしたことがあった。

相手の優柔不断に巻き込まれるのは嫌なものだ。

優柔不断な性格「優柔不断」は一般

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回りくどい話し方は嫌われる

回りくどい話し方は嫌われる

考えなしに発言することは、大人になるとあまりなくなる。

意識的に考えているわけではないが、過去の経験や会話のパターンなどが頭にあるから、基本的にはそれに沿った話し方をするだろう。

育った環境での周囲の話し方の影響は大きい。

話ぶりだけでその人らしいと分かるのだから、普段の話し方の癖はあなどれない。

前提を固めて話すそう言いながら、自分の話し方はあんまりよくないなと思っている。

言い方自体

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不機嫌には理由がある

不機嫌には理由がある

対話をしている中で、「なんだか相手の機嫌が悪いな」と感じることがある。

私もちょっとしたことで機嫌を損ねることはあるので、「何か相手の気をとがめることをしてしまったかな」とちらり内省する。

ほんの少しのことが気に障るものだ。

不機嫌の正体不機嫌になっている理由というのは、大きく言えば「思い通りにならなかったから」である。

予想が外れたことに拗ねているわけではないが、想定していた恩恵が享受で

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社会人と学生の違い

社会人と学生の違い

「学生時代に戻りたい」と言う人がいる。

それは社会人である今よりも学生時代の方が楽しかったということなのだろう。

私は常に今が一番楽しいと思っているので、どうも彼らには共感できない。

楽しかったと振り返る学生生活学生時代は確かに楽しかっただろう。

学校という枠の中、教育の下での活動は良くも悪くも狭い世界の出来事だ。

閉鎖的な性質上いじめなどが問題になっているが、学生時代を「楽しかった」と

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自分のマイナス思考に気づく

自分のマイナス思考に気づく

なんだか気分が落ち込むということはある。

体調が悪いのかもしれないし、心配事が控えているのかもしれない。

自分でも原因が分からないレベルの不安感で、簡単に精神は安定しなくなる。

そしてマイナス感情を抱いたままでいるとさらに悪い方向の想像が膨らむのだから、厄介だ。

誰でも陥る負の思考人の思考は一定でない。

もちろんざっくりとした傾向はあるだろうが、気分や状況によって違った思考をするものだ。

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会話する楽しさを知ってほしい

会話する楽しさを知ってほしい

人と話すのは楽しい。

もちろん相手によるだろう。

私の母は「人見知りだから」といつも言うのだが、私や仲のいい友人にはあっけらかんとペラペラ喋る。

仲のいい相手には気兼ねなくいろんなことが言えるというのはわかるが、母のそれは少々極端だ。

でも、実際世の中には同じような「普段話すのは苦手だけど、仲のいい相手には堰を切ったように話し出す」人はごまんといる。

苦手な理由「話すのが苦手」と一口に言

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レッテルに従う必要はない

レッテルに従う必要はない

自分がどんな人間か、説明することはできるだろうか。

「動物に例えると」「性格を一言で表すと」などありきたりな表現方法で問われることがあるが、そんな簡単に言い表すことができれば苦労しない。

簡潔に表現すればするほど重要な要素が漏れてしまうし、なにより人間は一定ではないのだ。

そんな端的な言葉で形容できるはずがない。

自分が思う姿と見えている姿の乖離もちろん、個人がもつ性格というのはある。先天

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同胞を見つける喜び

同胞を見つける喜び

どんな場面であれ、仲間を見つけると嬉しい。

ほんの些細なことでも、共通点を見つけると仲良くなれる気がする。

同じ世界観を持っているかもしれないと期待する。

もちろん見当違いなこともあるけれど、共感できる相手はいないだろうかと探す気持ちはやまない。

自分が誰とも異なる特別な存在でありたいという欲求と、同じ価値観をもっている人に出会いたいという気持ちは、誰しもの心に共存している。

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冗談という嘘

冗談という嘘

「冗談だよ」と嘘を言う人がいる。

嘘とは認識されていないかもしれない。

本人は「自分が本心で思うわけじゃないけど、想起したこと」を言っただけだ。

少なくとも発言の後に「冗談だよ」とつけなければならないような空気になった時点で、冗談を言うことに失敗しているが。

相手に通じてこその冗談冗談ってなんだ?と思って調べてみたものの、「ふざけて言う話」としか辞書には載っていない。

その説明は個人的に

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