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ロベール・ブレッソン監督 『ジャンヌ・ダルク裁判』 : 禁欲的な「信仰」において

映画評:ロベール・ブレッソン監督『ジャンヌ・ダルク裁判』1962年・フランス映画)

私は、批判的に「キリスト教」の研究をしているので、「ジャンヌ・ダルク」についても一応の知識なら持っていたが、さほど惹かれるテーマではなかった。なぜなのかとつらつら考えるに、要は「ドラマティックすぎ」て、キリスト教そのものの問題点から、人々の目を逸らせてしまうという印象があるからだろう。

ジャンヌ・ダルクの生涯とは、簡単に言えば次のようになる。

『ジャンヌは現在のフランス東部ドンレミ(現在はドンレミ=ラ=ピュセルという街)に、農夫の娘として生まれた。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦し勝利を収め、各都市をフランスへ取り戻し、のちのフランス王シャルル7世の戴冠を成功させた。

その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡された。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって「不服従と異端」の疑いで異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を終えた。』

(Wikipedia「ジャンヌ・ダルク」

つまり、祖国「フランス」防衛のための、今でいう「イギリス」との戦いに、「神の啓示」を受けた(声を聞いた)、ちょっと頭のおかしな少女が参加したのだが、彼女の戦略的預言が的中して(か、そのような演出をする者があってかはともあれ)イギリス軍を撃退するという一時的な勝利を勝ち得たために、彼女は「本物の聖女」だと、フランス側で崇められる存在になる。ところが、その後の戦いで捕虜になったジャンヌは、イギリス側の主導による「異端裁判」にかけられて、「異端者」あるいは「魔女」の烙印を押されて焼き殺されてしまう。

で、問題は、本作『ジャンヌ・ダルク裁判』を、ロベール・ブレッソン監督は「どのような立場から撮っているのか」ということになる。
前述のとおり、ジャンヌ・ダルクの生涯とは「救国の聖女の悲劇」として、あまりにも「ドラマティック」だし、

『ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命でジャンヌの復権裁判が行われた結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言された。その後ジャンヌは1909年に列福、1920年には列聖され、フランスの守護聖人の一人となっている。』

(Wikipedia「ジャンヌ・ダルク」

と、カトリック教会(ローマ教会)のお墨付きまで得て復権し、さらに約500年後とは言え、正式な「聖女(聖人)」にまでなったのだから、その後、いくらたくさんの「ジャンヌ映画」が作られたと言っても、彼女を「悪役」として描いたものは、たぶん皆無であろう。ジャンヌを「悪役」にするということは、「カトリック教会」を、二重に否定することにもなるからだ(ジャンヌを「異端としたことは間違っていた」としたことは、間違っていた)。

だから、ブレッソン監督の映画も、基本的にはジャンヌの側に立った映画であるというのは当然なのだが、「ジャンヌは、異端者でも魔女でもなく、救国の聖女であった」という立場であったとしても、その立場の中身は、じつのところ、色々あるはずなのだ。

例えば、「聖女」と言っても、日本人が考えるような、なにやら漠然と「神聖なる女性」というのと、カトリック教会が考える「神の啓示と恩寵を受けて活躍した、特別な人間」ということとでは、その逕庭は果てしなく広い。日本人にとっては「似たようなもの」であったとしても「真面目で清潔な、正義感に燃えたお姉さん」というのと「教会公認の神がかりの戦闘少女」というのでは、ぜんぜん違うということだ。
例えば、同じ「人殺し」をしても、その意味も評価も、まったく違ってこよう

ところが、キリスト教圏だと、「ジャンヌ映画」を喜んで観るような人たちは、ジャンヌを「悲劇の超少女」というイメージで見ているし、日本人も、「キリスト教信仰」という点については適当にスルーした上で、やはり彼女を「悲劇の超少女」というイメージで見ている。

リュック・ベッソン監督『ジャンヌ・ダルク』
ブリュノ・デュモン監督『ジャンヌ』

しかし、もしも彼女の「敵」が、同じ「キリスト教国」ではなく、例えば「イスラム教国」だったとしたら、「キリスト教信仰」そのものが根底から問われることになるはずだ。
また、英仏という「キリスト教国」同士の戦争だから「どちらのキリスト教信仰が正しかったのか?」という問題に矮小化されてしまって、そもそも戦争して殺し合った事実からして「どっち(のキリスト教)も間違っていた」のかもしれないという意味での「キリスト教信仰そのものが、幻想か現実か」と、根本的に問われることにもならなかった
そのため、最後はカトリック教会が、権威ある判定者ヅラをして出てきて「ジャンヌの方が正しかった。彼女への有罪裁判の方が間違っていた」という「お墨付き」を与えれば、それでもう「すべてが解決したかのように」思い違いされてしまうのである。

だが、このカトリック教会による、ジャンヌの「復権」という言葉自体が、そもそも引っかかって然るべきであろう。
ジャンヌの「復権」とは、彼女を「異端」認定したカトリック教会が、自らの「誤りを認めて謝罪し、判断を撤回した」ということではないのだ。
間違っていたのは、ジャンヌを有罪にした「一部の教会関係者」であって、カトリック教会は、それを遅まきながら正し、その「権威」において、ジャンヌを「復権」させてあげた、という立場なのである。「ローマ教会の名において」、今回も正義がなされた、という意味なのだ(そうでなかったら、カトリック教会は、幾度誤りをくり返してきたことか、ということになるだろう)。

しかし、ジャンヌの復権裁判が行われるのは、彼女の死後「25年」を経てからなのである。
言い換えれば、その間は、ジャンヌへの「異端」認定は、カトリック教会公認のものであり、その間のローマ教皇(法王)がそれを承認してきたことなのだ。
それなのに、その「責任」は無かったかのように、「ローマ教会が、その権威において、誤りを正して、ジャンヌを復権させてやったぞ」というのは、いかにも厚かましい話ではないだろうか。

だが、素直に「カトリック教会が間違っていました、教皇の審問承認が間違っていました」と認められないところが「宗教の宗教たる所以」であろう。
「神は無謬だが、地上の教会は無謬ではない」などと謙虚めかして言ったところで、実際のところ、個々の案件(例えば、ナチスドイツとの政教協定など)について、具体的にその誤りを認めることはできない。それでは「教会の権威」が地に落ちてしまうからだ。
「なるほど神は絶対に正しい。しかし、教会の、あるいは法王の言うことは、絶対に正しいとは限らない」と、信徒たちに本気でそう考えてもらっては困るからである(だから「ローマ教皇無謬説」なるものを、正式な教義にしてしまった)。

そんなわけで、多くの「ジャンヌ映画」は、ジャンヌを「復権」させた「ローマ教会」の「権威」を認め、それを「さすがだ」とするのが「普通」である。だからこそ安心して「勧善懲悪の物語」にも収まるわけだが、では、ブレッソン監督の立場は、どうなのであろうか?
それが問題なのである。

本作には「カンヌ国際映画祭審査員特別賞」が与えられただけではなく、同映画祭の「国際カトリック映画事務局賞」というのも与えられている。つまり、カトリック教会(ローマ教会)も、ジャンヌの「無罪」を描くこの映画の立場を支持しますよ、ということなのだが、これはまあ当然のことである。

しかし、少なからぬ人は、特に日本人は、本作がこの「国際カトリック映画事務局賞」を受賞したことや、『少女ムシェット』(1967年)や『白夜』(1971年)などが、同賞を受賞していること、あるいは本作『ジャンヌ・ダルク裁判』以前の作品に『田舎司祭の日記』という作品があることなどから、ブレッソン監督が「敬虔なカトリック信者」であり、単純に「カトリック教会を支持し讃嘆する」映画を撮っていると、そう考えがちなのではないだろうか。
だが私は、そうした安直な見方には、懐疑的である。

(『少女ムシェット』)

私の場合いまのところ、ブレッソン監督の作品は、キリスト教信仰とは一応のところ関係のなさそうな『ブローニュの森の貴婦人たち』(1945年)と、本作の2本を観ただけである。

だから、まだ確たることは言えないのだが、本作を見たかぎりにおいて、ブレッソン監督の「カトリック信仰」に対する態度は、そう単純なものではないように思えた。

どういうことかと言うと、まず本作のジャンヌは、決して「神がかりの盲信者」には描かれていない、という事実がある。
異端裁判の法廷シーンで、ジャンヌを有罪にするための証言を、なんとかジャンヌ本人の口から引き出そうとする、イギリス側についた裁判官(異端審問官)にたいし、ジャンヌは「迷いなき確信を語る」という単純なスタンスではなく、「何を言っては、まずいのか」を考えながら発言しているし、場合によっては、彼女を支持する側(フランス側)の修道士からこっそりと与えられる合図に従って、裁判官の質問に答えている。

黒い修道服を着ているのが、彼女を有罪にしようとしている「イギリス側」の異端審問官であれば、白い修道服を着ているのが、ジャンヌを擁護する「フランス側」の修道士であり、裁判官がジャンヌに対して「ひっかけ」の質問をし、ジャンヌがそれに答えようかどうかと迷った際、彼女がチラと白い修道服の修道士のほうへ目をやると、その白服の修道士は、片手で小さく「よしなさい」と合図を送るシーンが、何度かあるのだ。

つまり、本作で描かれたジャンヌは、「自分には神がついているから、正直に何を言っても、自分は絶対に助かる」などとは思っていないのだ。
彼女は「ヘタをすれば異端認定されて火刑になって殺される」ということを理解しており、「できればそうはなりたくない。できれば無罪放免になりたい」と考えているからこそ、審問官への回答には神経を使っており、神学に通じた味方の修道士の指示に従っているのである。

したがって、この作品に描かれたジャンヌは、「宗教的確信に凝り固まった。怖いものなしの盲信者」などではなく、「神への敬虔な信仰」を持ちつつも、「いくら信仰のためとはいえ、できれば死にたくない」と考えている「当たり前の人間」の部分も併せ持った存在でしかないもの、として描かれているのだ。

しかしながら、こうした「神の側についていれば、絶対に勝利する」といったような「単純な盲信」ではないところ(信仰的懐疑)にこそ、「キリスト教信仰の欺瞞」もまた入り込むし、それが害悪を為しもする。例えば「十字軍」のように、例えば「異端審問」のように。
一一「無謬の神」の側についているようであっても、実際にはそうではなかったという結果が起こ得るし、そうではなかったとされる場合の現に起こるのが、「信仰の不確定性(非絶対性)」という現実なのだ。

そして多分、ブレッソン監督は、「キリスト教信仰」を、そのようなものとして捉えている。
その「信仰」を否定しているわけではないけれど、かといって「信じて為せば、必ず勝利できる」などと単純には考えていないし、「カトリック教会の権威」を「絶対視」しているわけでもない。
たぶん「信仰とは、そんな単純なものではない」という、いかにも「フランス人」らしい信仰的立場に立っているのではないかだろうか。

このジャンヌ裁判でもわかるように、フランスというのは、当時は無論、今も一応のところ「カトリック国」ではあるのだけれど、決して盲目的な「ローマ教会」服従主義ではなく、独自の独立性を持っている。
それは、ジャンヌの関わった「百年戦争」でも明らかなように、ローマ教会は信用ならないという経験を、その身に刻みつけているからである。

私は、下のレビューで、フランスの、故アンリ・アントワーヌ・グルエ神父を紹介したが、この人は「ローマ教皇」を批判することも恐れなかった人で、こうした人が出てくるというのは、言うなれば、フランスのカトリックの伝統である「ガリカニズム(フランス主義)」の為せるわざなのだ。

どうして、このような特異な「心性」が生み出されることになったのかの説明をしだすと長くなりすぎるので、下のレビューなどを参考にしていただくこととしておきたい。

ともあれ、そんなわけで、ブレッソン監督が「フランス人」であり、本作が「フランス映画」であることを抜きにして、本作の「キリスト教理解」を、漠然と「わかったつもり」になるのは、間違いであろう。

ブレッソン監督は、ジャンヌに有罪判決を与えた一部の異端審問官だけではなく、その親玉として「異端審問」を正当なものとして推進していた「カトリック教会」の方も、決して無謬だとは思っていなかったのであり、さらに言えば、ジャンヌの信仰とて「完全無垢」なものだとは考えていなかっただろうということなのだ。前述のとおり「人間の信仰とは、そんなに単純なものではない」ということである。

たとえ本気で「神の声を聞いた=啓示を受けた」と確信していたとしても、人間は、それで自分が、神と共にある「無敵の人間」になったとまでは確信できず、「嘘」も含めて人間的な策も弄するし延命も図る、それが「リアルな信仰の姿」であると、ブレッソン監督は本作で描いているのではないだろうか。

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ジャン・コクトーが関係した作品として、前記の『ブローニュの森の貴婦人たち』を観た際には、特に変わった印象を受けることもなかったのだが、本作の場合は、その「淡々とした見せ方」が、非常に印象的であった。

法廷でのジャンヌの様子を移したカットは、アップの場合などは別にして、基本的には「同じ構図」であり、それは裁判長(審問官)を写したカットも基本的には同じである。

つまり、ドラマティックに見せるための、ことさらな工夫などなされてはおらず、ジャンヌの証言する様子が、まるで「記録映画」ででもあるかのように、ほとんど同じアングルで淡々と描かれているのだ。

で、これはたぶん、ブレッソン監督の「リアリズム」ということなのだろう。
要は「ドラマ的な虚飾や誇張」を排して、ただ、真っ直ぐに対象を写し取ろうとした姿勢の、端的な表れだったのではないだろうか。

事実、ブレッソン監督の「Wikipedia」には、次のような記述がある。

『ブレッソンは芝居がかった演技を嫌い、初期の作品を除き出演者にはプロの俳優の人工的な演技行為の意味や感情をあらわすことをひどく嫌ったため、その作品限りの素人ばかりを採用し、出演者を「モデル」と呼んだ。音楽はほとんど使用せず、感情表現をも抑えた作風を貫くなど、独自の戒律に基づいた厳しい作風が特徴。そうした自らの作品群を「映画」とは呼ばずに「シネマトグラフ」と総称した。』

言うなれば、これは「作為嫌悪」であろう。

よく映画について言われることだが、映画に写っていることは、すべて「作り事(フィクション)」であり、その意味では「嘘」である。つまり「映画の本質」とは「作り事」であることであって「現実を映すものではない」というのが、ジャン=リュック・ゴダールをはじめとした(当然、日本の蓮實重彦も、その教え子たちの映画監督も含む)「映画」派の考え方だ。

だが、元・画家であり、元・写真家であるブレッソン監督には、それが「作り事」でしかないというのは「わかりきった話」でしかないからこそ、彼が撮りたかったのは、そういう「嘘」ではなく、「リアル」だったのではないだろうか。
現実を切り取って、編集する以上、それが「現実そのものではない」ことくらい、当然のこととして承知していたが、それでも、そんな「不便な手法」を使ってでも「リアル」を、フィルムに移し取りたいと考え、そう願って『初期の作品を除き出演者にはプロの俳優の人工的な演技行為の意味や感情をあらわすこと』を排除し、殊更な「アングル」を駆使して「ドラマティック」に撮ったりすることを避けたり、したのではないだろうか。
言うなれば、徹底して「禁欲的」に、フィルムから「虚構の快楽」を排除して、「リアル」に至ろうとしたのではないだろうか。

だから、ブレッソン監督は、日本人が考えるような、単純な「カトリック信者」ではないし、かと言って「無神論者」でもない。
彼が「神」を見るのは、超越的な「高み」ではなく、むしろ「日常の中の些細なこと」と言った「リアル」の方なのではないだろうか。

そして、こうした傾向は、いかにもフランスのカトリックらしい態度であり、私はここで、フランスの思想家シモーヌ・ヴェイユを思い出す。

彼女は、カトリック信仰に惹かれながらも、「神の高み」を望むのではなく、「重力」の中にこそ「恩寵」を見、大地に「根」を張ることを望んで、ひ弱な知識人でありながら、過酷な「工場労働」にもあえて参加して、それで体を壊すなどといったことをした人なのである。
そして、結局のところ彼女は、親しいカトリック神父からの度重なるすすめを受けながらも、終生「洗礼」を受けることはなかった人なのだ。

つまり、ブレッソン監督の「信仰」とは、ヴェイユのような「ストイック」なものであり、その意味において「敬虔」なものだったのではないだろうか。

そして、その信仰とは、ある意味で、自己陶酔的で芝居ががかっていた「ジャンヌ・ダルクの信仰」とは、真逆のものだったのではないだろうか。

私は、ブレッソン監督については、「映画監督」としてどうこうではなく、彼の「信仰」と「生き方」というものの方に、興味を惹かれるのである。



(2024年1月28日)

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