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旅行記

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ナムギャル寺の点灯夫

ナムギャル寺の点灯夫

インド北部にあるダラムサラという街は、
1950年の中国共産党のチベット侵攻以来、
チベットの人々の政治・宗教的中心地となっている。
ノーベル平和賞の受賞者であるダライ・ラマ14世も、
すでに三世、四世に及ぶ難民たちと、今もこの場所で生活を共にしている。

ダライ・ラマ法王の住居があるナムギャル寺には、
仏殿の横に供物の灯明を集めた小部屋がある。
チベット寺では蝋燭ではなくバターランプを使う。

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八百比丘尼の窟を訪ねる-常春に倦みし君の-

八百比丘尼の窟を訪ねる-常春に倦みし君の-

今は昔、ある若者が、
隣村で賭け事をして酒を飲んだ帰りに喉が渇き、
林の陰にある名水の泉を飲むべく回り道をした。

十六夜の月影が梢より漏れ、
夜来の風が松籟を鳴らす他には何の音もない。

泉にたどり着いた男は、玉のような肌をした女の裸が、月明かりに浮かぶのを見た。
それは、世間にあればさぞ浮名を流したであろう、美しい尼僧が水浴びする姿だった。

口元に、何か閃くものがある。
尼僧はそれを手に取る

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吹割の滝を訪ねる-昭和の精霊-

吹割の滝を訪ねる-昭和の精霊-

吹割の滝の帰り道、みやげ物屋が並ぶ坂道の途中に囲炉裏を見つけた。

岩魚や山女が焼かれ、炉の周りには男根を模した木偶や大黒天の木像が、
酒壺と共に無造作に置かれている。
自在鉤や横木の魚、天井からぶら下げられた白熱灯のコードには、
煤と脂がびっしりこびりついていた。
興味本位で覗いたところ妙に居心地がよかったので、
休憩がてら腰を下ろし、ところてんを頼んだ。

店の奥の掘りごたつにギターが二本、裏

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吹割の滝を訪ねる―龍宮の面影-

吹割の滝を訪ねる―龍宮の面影-

孔雀石を溶いたような緑青の淵。
花崗岩と凝灰岩の川床が、
陽光を受けて金銀のまだらに光る。
流れの真中に亀のように横たわる浮島。
巌から伸びる赤松の梢。
木陰に佇む観音堂。

絡みつ解れつ水面を滑る銀の綾が、
ついに縒り合わさって千条の糸となり、
轟轟としぶきを上げる滝つぼへと、
まっさかさまに落ちていく。

かつて吹割の滝つぼは龍宮に通ずると言われていた。
近隣の村民は、祝儀などの振舞ごとがある

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伊香保を訪ねる―追憶の景色―

伊香保を訪ねる―追憶の景色―

「伊香保ろの八尺の堰塞に立つ虹の現ろまでもさ寝をさ寝てば」

万葉集の中で唯一虹を取り上げたとされるこの歌は、温泉で名高い伊香保の地で詠まれた。
意味は、「伊香保の山裾にあるあの高い水門。そこから迸る水しぶきに朝日が照って立つ虹のように、人目構わず君と朝まで寝ていられたら…」
忍ぶ恋ではあったらしいが、あずま歌らしい素朴でのびやかな響きが好もしい。

有名な石段街を登っていくと、左右には昔ながらの

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シューベルトの教会を訪ねる

シューベルトの教会を訪ねる

ウィーン郊外のリヒテンタール教区教会。初期ロマン派の作曲家シューベルトはこの教会で洗礼を受け、少年期には聖歌隊として歌い、オルガンを演奏していた。

小さいころ、両親が共働きだったので、一人で過ごすことが多かった。
静まり返ったマンションの一室で、近所のコンビニのおでんを夕食にして、何をするでもなくそのまま眠りについた。
夜中に目が覚めると、枕元に母がいて、なかなか寝付けない私に、子守唄代わりにハ

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素を見(あらは)し、撲を抱け。(前篇)

素を見(あらは)し、撲を抱け。(前篇)

 桃の花咲くうららかな春の日に、僕はアメリカ人のB君と、熊野の玉置山を登っていた。玉置山の山頂には、熊野三山の奥の宮と呼ばれ、古来修験者の祈りの場であった玉置神社が鎮座している。僕たちの目的は、そのお社をお参りして、境内に木細工や石細工の店を構えているという、B君の自然農の師に会うことだった。

 B君は、僕の大学時代の先輩であるSさんとモンゴルのホースキャラバンで出会い、その後日本に来て、結婚し

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山羊の糞と祈りと救い

山羊の糞と祈りと救い

 マルディンは、トルコの南東部、シリアとの国境に近い砂岩の町である。メソポタミア文明を養ったティグリス川とユーフラテス川の二本の川に囲まれているマルディンを含むトルコ南東部、シリア、イラクの北部の一帯は、「アッパー・メソポタミア」、あるいはアラビア語で「島」を意味する「アル・ジャジーラ」と呼ばれている。マルディンはパッチワークされた畑の緑を除けば、一面土色の茫漠とした平野部に突如迫り上がる山の斜面

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