平田博満

音楽家|文筆家|翻訳家 世界を旅し、拾い集めた物語や音楽を語って聞かせる現代の吟遊詩人…

平田博満

音楽家|文筆家|翻訳家 世界を旅し、拾い集めた物語や音楽を語って聞かせる現代の吟遊詩人。日本語、英語だけでなく、サンスクリット語やトルコ語など、さまざまな言葉で歌います。

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    ツッコミどころ満載なのに、考えさせられる。そんな面白深いインドの聖者たちのお話をご紹介していきます。

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ナムギャル寺の点灯夫

インド北部にあるダラムサラという街は、 1950年の中国共産党のチベット侵攻以来、 チベットの人々の政治・宗教的中心地となっている。 ノーベル平和賞の受賞者であるダライ・ラマ14世も、 すでに三世、四世に及ぶ難民たちと、今もこの場所で生活を共にしている。 ダライ・ラマ法王の住居があるナムギャル寺には、 仏殿の横に供物の灯明を集めた小部屋がある。 チベット寺では蝋燭ではなくバターランプを使う。 灯明は水や花、お米や香に並ぶ重要な供物だ。 仏教ではわたしたちの苦しみの根本原因

    • チェンマイの古寺で陰翳礼讃 —ワット・プラシンの礼拝堂—

       漆器の蒔絵や金屏風に言寄せて、黄金は闇の中で弱々しく光る時にこそ本来の美しさを発揮する、そう言ったのは谷崎潤一郎だったが、寺院の立ち並ぶチェンマイの街を夜巡り歩いていると、改めてそのことがよく了解されるのだった。  秀吉の黄金の茶室や、金閣寺の派手な色を面白いと思えないのと同じように、東南アジアでよく見かける金一色に塗った仏舎利塔や、金箔で覆った仏像を美しいと感じたことはついぞなかった。  むしろ行楽地などでよく見かける、けばけばしい色彩によって脳を刺激し、人間の視覚が

      • ヨブの木の詩

        「ヨブの木の詩」 風の音唸る草原に、 佇む三つのあばら屋は、 人ありし代の面影を、 さびしき大樹に投げてあり。 散り透く枝の彼方には、 目も眩うほどの青き空。 天照らす日の恵みさえ、 渇きをいや増す罰と見ゆ。 ひねもす孤独は影となり、 白日のもと丈伸ばす。 夕さり軋む枝の音は、 夜疾く来たれと嘆くらし。

        • 風が吹くまま行けばよい。-旅の心象風景-

          日本ではバイクはおろか原付もほぼ乗ったことがないのだが、 東南アジアの国々を旅するようになって、 田舎道を原付で流すのが好きになった。 車がほとんど通らないところは気楽に、 ヘルメットもつけず、まあハンドル操作を誤ったところで死にはすまい、ぐらいの速度でのんびり走る。 だから視界は良好。森の小道に降る木漏れ日や、野原に開ける青い空、眩しいほどの白砂の道に、色鮮やかな南国の花。道端で昼寝する野良犬、鶏の親子など、大なり小なりの景色を面白がって、一々路肩に足を停めずにはいられな

        ナムギャル寺の点灯夫

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          星降る山の露天風呂-タイ、チェンダオ-

          ドイ・ルアン・チェンダオ。 「ドイ」は山、「ルアン」は大きい。 「チェンダオ」は星の街。 星の街の大きなお山。なんて素直な名前だろう。 コロナ禍が明け、久々のインド渡航の前に立ち寄ったバンコクの騒々しさにうんざりしていた私は、古都チェンマイにいてもなんだか心がざわついて、とにかく山に行きたいと思っていた。 そんな時に目に飛び込んできたのがこの名前。 行く前から好きになった。 チェンマイから北へバスに揺られて二時間ほど。 チェンダオの街にはタクシーも走っていない。バックパ

          星降る山の露天風呂-タイ、チェンダオ-

          蟻塚より生まれし男、世界で初めて詩を作る~インド聖人譚その一~

          インドにはとにかく、聖者にまつわる伝承が多い。 もちろん日本でも、弘法大師空海や一休禅師など、民間伝承に取り上げられている聖人は少なくないのだが、彼らはいかに超常的な能力を持っていても、やはり人間として育ち、人間として社会に関わっている、という感じがする。 それに比べてインドの聖者たちは、その物語が突飛である。おそらくその語られた当初が古いのもあってか、どちらかというと神話に近い、奇天烈な趣がある。インド神話を少しでもご存知な方は、その内容のあまりの不条理さに驚かれたこと

          蟻塚より生まれし男、世界で初めて詩を作る~インド聖人譚その一~

          タスマニアの森深くにある廃墟で一人暮らした話

           タスマニアにいたころ、人里離れた森にひっそりと佇むあばら家で暮らしていたことがある。当時僕は車で三十分ほど離れた村で固定種の種を商いする小さな店の手伝いをしていて、滞在の間宿としてあてがわれたのがその小屋だった。八十年代製のトヨタのセダンを貸してもらい、乗ったことがなくクラッチの仕組みも分からないマニュアル車を手探りで運転し、山道を店に通い種の選定や包装をするのが僕の日課だった。  小屋は何年もの間人が住んでおらず荒れ放題だった。壁木はところどころ朽ちており、崩れた窓枠に

          タスマニアの森深くにある廃墟で一人暮らした話

          八百比丘尼の窟を訪ねる-常春に倦みし君の-

          今は昔、ある若者が、 隣村で賭け事をして酒を飲んだ帰りに喉が渇き、 林の陰にある名水の泉を飲むべく回り道をした。 十六夜の月影が梢より漏れ、 夜来の風が松籟を鳴らす他には何の音もない。 泉にたどり着いた男は、玉のような肌をした女の裸が、月明かりに浮かぶのを見た。 それは、世間にあればさぞ浮名を流したであろう、美しい尼僧が水浴びする姿だった。 口元に、何か閃くものがある。 尼僧はそれを手に取ると、おもむろに腹にあて、白い肌にぐいと沈める。 あっと小さな声が漏れ、血がとくと

          八百比丘尼の窟を訪ねる-常春に倦みし君の-

          吹割の滝を訪ねる-昭和の精霊-

          吹割の滝の帰り道、みやげ物屋が並ぶ坂道の途中に囲炉裏を見つけた。 岩魚や山女が焼かれ、炉の周りには男根を模した木偶や大黒天の木像が、 酒壺と共に無造作に置かれている。 自在鉤や横木の魚、天井からぶら下げられた白熱灯のコードには、 煤と脂がびっしりこびりついていた。 興味本位で覗いたところ妙に居心地がよかったので、 休憩がてら腰を下ろし、ところてんを頼んだ。 店の奥の掘りごたつにギターが二本、裏返しに立てかけてある。 ネックを触るとべたつくのは、これも煤と脂のせいだ。 弦は

          吹割の滝を訪ねる-昭和の精霊-

          吹割の滝を訪ねる―龍宮の面影-

          孔雀石を溶いたような緑青の淵。 花崗岩と凝灰岩の川床が、 陽光を受けて金銀のまだらに光る。 流れの真中に亀のように横たわる浮島。 巌から伸びる赤松の梢。 木陰に佇む観音堂。 絡みつ解れつ水面を滑る銀の綾が、 ついに縒り合わさって千条の糸となり、 轟轟としぶきを上げる滝つぼへと、 まっさかさまに落ちていく。 かつて吹割の滝つぼは龍宮に通ずると言われていた。 近隣の村民は、祝儀などの振舞ごとがあると、 お椀が足りないので貸してもらいたい旨を手紙にしたため滝つぼに投じた。 する

          吹割の滝を訪ねる―龍宮の面影-

          伊香保を訪ねる―追憶の景色―

          「伊香保ろの八尺の堰塞に立つ虹の現ろまでもさ寝をさ寝てば」 万葉集の中で唯一虹を取り上げたとされるこの歌は、温泉で名高い伊香保の地で詠まれた。 意味は、「伊香保の山裾にあるあの高い水門。そこから迸る水しぶきに朝日が照って立つ虹のように、人目構わず君と朝まで寝ていられたら…」 忍ぶ恋ではあったらしいが、あずま歌らしい素朴でのびやかな響きが好もしい。 有名な石段街を登っていくと、左右には昔ながらの射的屋や、民芸品を商う店が立ち並ぶ。 竹久夢二の描いた大正ロマンな美人画や、頬の

          伊香保を訪ねる―追憶の景色―

          シューベルトの教会を訪ねる

          ウィーン郊外のリヒテンタール教区教会。初期ロマン派の作曲家シューベルトはこの教会で洗礼を受け、少年期には聖歌隊として歌い、オルガンを演奏していた。 小さいころ、両親が共働きだったので、一人で過ごすことが多かった。 静まり返ったマンションの一室で、近所のコンビニのおでんを夕食にして、何をするでもなくそのまま眠りについた。 夜中に目が覚めると、枕元に母がいて、なかなか寝付けない私に、子守唄代わりにハミングを歌ってくれた。 それがシューベルトの『アヴェ・マリア』だった。 ウィ

          シューベルトの教会を訪ねる

          ブッツァーティ『タタール人の砂漠』を読む

           自分がその本といかにして出会ったのかをいつも覚えているわけではない。でも鮮烈な印象をもって僕の人生に飛び込んできた本のことは覚えている。『タタール人の砂漠』は、そういう本の一つだった。  士官学校を出たばかりの若き将校ジョバンニ・ドローゴは、とある辺境の砦への任官が決まり、母を一人残して故郷の町を出る。険阻な山をいくつも越えて辿り着いたバスティアーニ砦は、いつ来るとも知れない、存在すら疑わしい北方のタタール軍を迎え撃つために存在していた。砦で働く上官や同僚の面々は、皆その

          ブッツァーティ『タタール人の砂漠』を読む

          素を見(あらは)し、撲を抱け。(前篇)

           桃の花咲くうららかな春の日に、僕はアメリカ人のB君と、熊野の玉置山を登っていた。玉置山の山頂には、熊野三山の奥の宮と呼ばれ、古来修験者の祈りの場であった玉置神社が鎮座している。僕たちの目的は、そのお社をお参りして、境内に木細工や石細工の店を構えているという、B君の自然農の師に会うことだった。  B君は、僕の大学時代の先輩であるSさんとモンゴルのホースキャラバンで出会い、その後日本に来て、結婚した。二人はしばらく東京に住んだ後、安住の地を探すため、キャンプや車中泊をしながら

          素を見(あらは)し、撲を抱け。(前篇)

          山羊の糞と祈りと救い

           マルディンは、トルコの南東部、シリアとの国境に近い砂岩の町である。メソポタミア文明を養ったティグリス川とユーフラテス川の二本の川に囲まれているマルディンを含むトルコ南東部、シリア、イラクの北部の一帯は、「アッパー・メソポタミア」、あるいはアラビア語で「島」を意味する「アル・ジャジーラ」と呼ばれている。マルディンはパッチワークされた畑の緑を除けば、一面土色の茫漠とした平野部に突如迫り上がる山の斜面に作られた町で、眼下には広大なメソポタミア平原が広がっている。  2019年8

          山羊の糞と祈りと救い

          タール砂漠の青い鳥

          幸せの青い鳥という話をご存じだろうか。 ベルギーの劇作家メーテルリンクの書いた戯曲で、チルチルとミチルという貧しい木こりの兄妹が、幸福の象徴である青い鳥を探す旅に出るという筋書きだ。子供向けの童話かと思えば含蓄に富む寓意が散りばめられていて、大人が読んでも楽しめる。 結局旅先では青い鳥は見つからず初めから家にいたというオチで、幸せとは実は身近なところにあるのだ、という趣旨の話としてよく語られる。 ドストエフスキーは作中人物をして「人間の不幸とは唯自らの幸福を自覚せざりし

          タール砂漠の青い鳥