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伊香保を訪ねる―追憶の景色―

「伊香保ろの八尺やさか堰塞いでに立つ虹の現ろまでもさ寝をさ寝てば」


万葉集の中で唯一虹を取り上げたとされるこの歌は、温泉で名高い伊香保の地で詠まれた。
意味は、「伊香保の山裾にあるあの高い水門。そこから迸る水しぶきに朝日が照って立つ虹のように、人目構わず君と朝まで寝ていられたら…」
忍ぶ恋ではあったらしいが、あずま歌らしい素朴でのびやかな響きが好もしい。

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有名な石段街を登っていくと、左右には昔ながらの射的屋や、民芸品を商う店が立ち並ぶ。
竹久夢二の描いた大正ロマンな美人画や、頬の赤い童人形がお出迎え。下駄の鼻緒や細工品にあしらわれた色とりどりの文様が目に楽しい。
路地を奥に行けば御屋敷の様な立派な旅館がいくつも軒を連ねる。由緒ある温泉場の風格だ。

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盆を過ぎたとはいえ暑さはまだ酣で、夏バテでろくに食事をとっていなかった私は休憩がてら一軒の茶屋に入った。
明らかに家居の佇まいをした女主人がやってきて、何も言わず私の手に消毒スプレーを吹きかけた。

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三杯酢とところてんの体に透き通るようなのど越しを味わい生き返ったような気持ちでいると、主人が「ひとり旅?」と声をかけてくる。
そうです、と返事をすると突然、それまで愛想も素っ気もなかった顔がほころんで色々と聞いてくるものだから、思わず話が弾んで、インドに旅行していた話なんかもした。
向こうの様子を聞かれ、農村なんかに行くと昔の日本みたいですよ、と答えたら、それが発端となって昔語りが始まった。

戦後すぐ、彼女が幼かったころは、今のような建物はなく、雨戸に使う戸板を地べたに敷いてお店を出していたという。
そのときは石段街も舗装されておらず、街角にはいくつも立派な木が生えていた。みんな落ち葉の掃除が億劫になった店の人らに切られてしまったそうだ。
茶屋の脇には戦前に先代が植えたもみじの木が今も残っていて、幹がよじれているのを彼女は「年を取ってひねくれてしまった」と笑った。勘定をして店を出るとき、「楽しい時間をありがとう」と言って、最後は笑顔で見送ってくれた。

この感覚は、観光名所に行くだけでは味わえない。旅先で出会う人々の、何気ない話から立ち昇る、その人だけの心象風景。
その遠い目の先にある過去を垣間見るのを許されたとき、私はその人と心が通じたのを感じる。そういう時は、自分が観光客ではなく、旅人になれた気がして嬉しい。

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