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ナムギャル寺の点灯夫

インド北部にあるダラムサラという街は、
1950年の中国共産党のチベット侵攻以来、
チベットの人々の政治・宗教的中心地となっている。
ノーベル平和賞の受賞者であるダライ・ラマ14世も、
すでに三世、四世に及ぶ難民たちと、今もこの場所で生活を共にしている。

ダライ・ラマ法王の住居があるナムギャル寺には、
仏殿の横に供物の灯明を集めた小部屋がある。
チベット寺では蝋燭ではなくバターランプを使う。
灯明は水や花、お米や香に並ぶ重要な供物だ。

仏教ではわたしたちの苦しみの根本原因を「 無明 」という。
無明とは明かりが無い状態、ものごとの道理に昏いこと。
目が開いていても、心は見えていないこと。

灯火は「 智慧 」の比喩。
智慧とは般若、空(くう)を解する心。
智慧の明かりは道を照らし、涅槃寂静の彼岸に
渡らんとするわたしたちを導いてくれる。
これを般若(智慧)波羅蜜多(到彼岸)という。

部屋の中は暖かかった。
小さな火もこれだけ集まると大きな熱となる。
短く頭を刈りそろえた初老の男性は、灯火の管理人らしい。
綿を撚った芯を銅製の器に立てて、燃料を流し込む。
伝統的にはヤクや牛の乳からとれたバターやギーを使うが、
あの独特の甘い匂いがしないから、
ここではおそらく植物性の油で代用しているのだろう。

黙々と、よどみなく、
一つの芯から一つの芯へと火を移していく。

「 灯明を布施するとどのような功徳があるのですか 」
と聞くと、「 私には分からない 」と言った。
それで星の王子さまに出てくる点灯夫の話を思い出した。

その点灯夫は、街灯が一つ、人一人が
やっと立っていられるほどの小さな星で、
朝になると灯りを消し、
夜になると灯りを点ける仕事をひたすら続けている。
星の王子さまが理由を訊ねても、
「 決まりだからさ 」というだけだ。

星の王子さまは思う。
「 あの人はきっと、他のみんなに見下されるだろうな。
王様にも、うぬぼれ屋にも、酒呑みにも、ビジネスマンにも。
でもぼくには、あの人だけはふざけて見えない。
それはきっと、あの人が自分以外の何かのために
はたらいているからだ。」

炎のゆらめきにぼうっとしながら、
灯火を点けることは美しい仕事だと思った。

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