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吹割の滝を訪ねる-昭和の精霊-

吹割の滝の帰り道、みやげ物屋が並ぶ坂道の途中に囲炉裏を見つけた。


岩魚や山女が焼かれ、炉の周りには男根を模した木偶や大黒天の木像が、
酒壺と共に無造作に置かれている。
自在鉤や横木の魚、天井からぶら下げられた白熱灯のコードには、
煤とやにがびっしりこびりついていた。
興味本位で覗いたところ妙に居心地がよかったので、
休憩がてら腰を下ろし、ところてんを頼んだ。


店の奥の掘りごたつにギターが二本、裏返しに立てかけてある。
ネックを触るとべたつくのは、これも煤と脂のせいだ。
弦は全く滑らず、到底弾けたものではない。
ご主人に訊くと、客が置いていったものらしい。
私は無為に張られたままの弦を緩め、元の場所に戻した。


外の明るさとのコントラストで、
ほとんど照明のない店内は余計暗く見える。
隅々にわだかまる生き物のような暗がりに目を凝らすと、
天狗面や天然木の置物、ラジカセやテープの山が闇の中に浮かび上がる。
日本では古来つくも神といって、長い年月を経た物には魂が宿ると言うが、この店は空間そのものがつくも神の棲家であるかのようだ。


ご主人は店を「滝の裕ちゃん」と名付けるほど石原裕次郎が好きで、
昔はカラオケ大会で腕を鳴らしていたらしい。
店内には石原裕次郎本人と並んでマイクを握る若かりし頃の写真もあった。

いかにも朴訥な雰囲気のご主人だが、酒の話となると顔をほころばせる。
昔は事あるごとに近所の酒呑みが集い、囲炉裏を囲んで盃を交わしたそうだ。
つぶれた客がいると、車に乗せて自ら家まで送っていったという。
ご主人は、外を見ながら、独り言のようにぽつぽつと話した。

囲炉裏の席からは、通りの向かいにひまわりがいくつも咲いているのが見える。
晩夏の陽射しの中、花びらは少し萎れかかっていた。

「なんであんなに呑んでしまうのかね」と、
懐かしそうに笑うその顔には、
昭和と平成、二つの時代を見て過ごした達観が浮かんでみえるようだった。

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