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読書からの葉脈

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読了の落とし込み。読んで書いて読んで書いてし続けたいし、その先の自分の表現を見つけたい。
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#女性

もし吉田知子と呑むならば、その機会と境界線を探りはしたが惨敗だった。

もし吉田知子と呑むならば、その機会と境界線を探りはしたが惨敗だった。

先日、年間読書量ゼロの先輩に言われました。

「君は、日本一の読書家だと思うよ」と。

うっすらと私もそうじゃないかと思っていたので今日から名乗ります。

日本一の読書家の私がこんなことを言うのはお恥ずかしいのですが、どっぷりと本に浸かれず、最近は短編や随筆を読んでいる。何が正しいのか分からないまま、フラフラフフフであります。

四十を越えても自己が定まらず、迷いに溢れている毎日が嫌いではない。た

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吉行淳之介に出会った文学中年は、時の残酷さを知る生と性

吉行淳之介に出会った文学中年は、時の残酷さを知る生と性

これは、私の読書友達。大工こと卍丸くんの最近の記事からの引用である。

卍丸くんは、吉行淳之介の「砂の上の植物群」を読み終え、そう感じた事を記していた。

彼はまだ20代後半だ。

彼の感想が、私の心に囁いたもの。

おいおい待ってくれよ。君はアラサーでこれを感じているじゃないか。彼が今の私の年齢になるまで後10年以上もある。中年はこれからじゃないか。

もう一度載せる。

どういうことだかわかり

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谷崎潤一郎の細部にまで達する表現の拘りを変わらず愛でたくなる。

谷崎潤一郎の細部にまで達する表現の拘りを変わらず愛でたくなる。

昨年末の話だ。図書館から年末年始に読もうと予約していた本が多く届いた。自分の中で心の落ち着きを取り戻し、ゆっくり読書をしたい欲求に溢れている。

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を味わった。日本家屋にこんなにも陰影による工夫がされていたのかと今さらながらに大切にするべきだと感じた。当たり前にストレスなく感じていた時間や空間は、誰かが創り上げた時間と空間だと思わされた。

生活には「闇」が付いてくる。

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室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の全集より、私小説にあたる三作を読了した。

「幼年時代」
「性に眼覺める頃」
「或る少女の死まで」

詩人でもある室生犀星が描く私小説に興味があったのか、自分でもどこに引っ掛かりがあったか忘れてしまっていたが、メモに室生犀星と書いてあったのだから何かに引っ掛かったのだろう。

しかし自分の動機などは、読む本に関係ない。ある種の出会いだと思っている。

少し前に、徳田秋声の「仮装人物」とい

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久しぶりの谷崎潤一郎に、再び女性が好きだと告白してみた

久しぶりの谷崎潤一郎に、再び女性が好きだと告白してみた

📚

谷崎潤一郎

1956年に発表された小説。装丁、挿絵が棟方志功だ。

谷崎は、小説の話の筋について、芥川と論争していることを、私は潤一郎犯罪小説集を読み進めて調べている時からこの事を知った。

谷崎は、芥川への反論で

「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」

と反論している。

この論争は、1927年の事だ。芥川はこの年に亡くなっている。

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私が描く女性論を、いつか三島由紀夫、谷崎潤一郎に語れのるだろうか

私が描く女性論を、いつか三島由紀夫、谷崎潤一郎に語れのるだろうか

📚 #夏子の冒険 #三島由紀夫

私はよく疲れた時に三島由紀夫を読む。
と言いつつ、そんなに多く読んでいるワケでもないし、理解しているワケでもない。

ただ、日本語というより三島の言葉、熟語の羅列の美しさを魅せてくる手法が読んでみろ、感じろ、俺を視よ、と言われている気がして心地よくなっていく。

三島の文体はそれ単体で美しく、ただ読み進めるだけでも楽しいものだと思っている。

今まで、読書に

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谷崎潤一郎が好きである。それと同じくらい方言が好きである。

谷崎潤一郎が好きである。それと同じくらい方言が好きである。

📚
谷崎潤一郎全集より

日本に於けるクリップン事件 を読みました。

私は、関西弁を喋れない。 

これは勉強すれば喋れるようになるのだろうか。
卍で操られる言語は、関西弁を喋れない人が本当に書いているのだろうか。 

同性愛を告白する女性の話しで綴られていく男女4人の交差にタイトルの意味を感じる。 

私が借りた全集には、谷崎潤一郎が、卍はモデルや種本はなく、上方言葉の甘美と流麗とに魅せら

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