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李家に生まれて

18
「三木才代」という人間がどんなルーツを持ち、どんなことを想い、どう生きるかを決めたか、を記憶を掘り起こして書いています。 自分の過去を大事にお伝えすることで、同じような経験や感覚…
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記事一覧

李家に生まれて #16

李家に生まれて #16

わたしがこの家に生まれたことを
本気で嫌になった時期は二回ある。

本気で嫌になるというのは、
もう生きるのがつらいと自分からいなくなりたい気持ちや
親を殺したくなるほどの怒りや恨みの気持ちが
常に湧き上がってくるほどのものだ。

わたしにとって、それは今までに

中学受験でトラウマになるまで追い込まれた期間と
院生時代に恋愛をし、この関係を続けていた時期だ。

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李家に生まれて #15

李家に生まれて #15

台湾大学日本人学生会

字面で見ると、仰々しいが、
ただの学生の集まりである。

調べたら今でも脈々と?会は続いているようだ。

当時は日本人で台湾に留学し、なおかつ正式な学部生として
在籍している学生の数はかなり少なかった。
日本の大学の提携で語学留学や短期留学に来ていた学生のほうが多かった。

つまり、会の幹事になる順番はいつかは回ってくる。。。

入学した当初に参加した食事会で、私は悟った。

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李家に生まれて#14

李家に生まれて#14

めまぐるしい台湾生活を過ごすにつれ、

自分は本当に自分の父母から生まれたのだな

とふとしみじみ思うことがあった。

私が留学をしたい、親元から離れなくてはと思い行動した結果は
父が自分の家や国を離れ日本で生活をすると決めたことと
とても良く似ていた。

もともと性格自体も、私はカッとなりやすく感情の起伏が激しい。
私が幼いころの父もそういう一面を私に見せていたから、
つくづくこの親にしてこの子

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李家に生まれて 閑話休題②

李家に生まれて 閑話休題②

台湾人は食いしん坊だと思う。

みなさん、ご存じだろうか。

いわゆる、「こんにちは」のような、
ちょっと顔見知りにかける通りがかりのあいさつ。

英語でいえば、「Hello」的な。
中国語であれば、ご存じの通り「你好 ニーハオ」になるわけだが。

台湾語では

チャパーブエ

これは日本語でいうとなんと

ご飯食べたか?

という意味なんですよ。
意味わからんくないです?
通りがかりに、人のおな

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李家に生まれて#13

李家に生まれて#13

幼少期に理不尽だと思えていた両親の教育が
留学生活を過ごす私にとって大いに役立った。
改めて、日本に留学した父は先人だったと認めざるを得ない。
例えば

<わからないことは先生に直接聴くべし>

高校時代までこの教えは半分しか聴きいれてこなかった。
なるべく目立たないようにいきたいと思っていた私は
先生に訊くなど目立つことはできるだけ避けたかった。
本当に誰に聞いてもわからないときや友達と連れ立っ

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李家に生まれて #12

李家に生まれて #12

本格的な中国語学習が始まった。
19から台湾に行き、語学学習から始まり
あれよあれよと約7年ほど留学していた。
この期間中、「ことば」の学習はゴールの見えない道のようだった。
語学学習は知識だけではなく自分との向き合うポイントもくれた。
「未知の言語」ではなかったので、より自分と向き合うことになったのだ。

台湾での中国語学習は私が3歳くらいまで家で学習していた
「注音記号」という発音記号を使う。

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李家に生まれて #11

李家に生まれて #11

まさに断崖絶壁。後戻りはできない。
18の私はまさにそんな気持ちで台湾へ留学することを決めた。
実際は祖母の家に居候することや、多くの親戚がいるため、
後ろ盾がとても十分にあるはずの環境だったのだが、
なぜか私は一人でいろんなことを背負いがちだった。
それはきっと、父が当初一人で日本に留学に来たり、
母が家族四人の家計を支えていたり、
これまでの生きた環境や状況を考慮しての意気込みだったと思う。

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李家に生まれて 閑話休題①

李家に生まれて 閑話休題①

私個人の体験というより、ちょっと俯瞰して環境や文化について一つ。

両親が台湾人だからと言って何が違うのか
言葉以外具体的にそのギャップを伝えるのはなかなか難しい。
というか、自分からこの違いを話すことに抵抗があったとも言える。

一番の大きな違いは宗教だ。
台湾では旧暦の1日と15日にお祈りをする。

幼いころ、家には神棚というものはなかったが、
この両日に金紙と呼ばれる紙(あの世でお金になる)

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李家に生まれて #10

李家に生まれて #10

切っても切れない、離れたくても離れられない
それが血縁だし、出自だと深く知ったとき、自分を呪うようになった。

なんで生まれてきたんだろう?
こんな複雑な思いを抱えて生きていきたくない
これから私はどう生きればいいのだろう?

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李家に生まれて #9

李家に生まれて #9

自分の存在意義が危うくなった。
何とか大学受験へのモチベーションを取り戻そうとしても
進んでは後退するの繰り返し。
授業にほとんど身が入らなくなっていた矢先の出来事だった。

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李家に生まれて #8

李家に生まれて #8

念願の志望校合格。
私は完全に浮かれていた。
当時の内部試験は、附属の中学校4校から、
附属の高校を受験希望する者が集まる。
私たちの学校は4校の中でも比較的のんびりというか穏やかというか、
おおらかというか、あまりがつがつしていない雰囲気があった。
事前に高校はレベルが高いから、気をつけてとも言われていた。

実際、入ったのはいいものの私は自己流で勉強していたので
どう頑張っても追いつけないこと

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李家に生まれて #7

李家に生まれて #7

今はもう私の母校だった中学校は存在しない。
片道1時間半かけ3年間通った学校は
今はもう帰国子女のための中高一貫校になっているという。

運良く合格した学校のおかげで私は合法的な家の離れ方を覚えた。
校則では許されていなかったが、できる限り寄り道した。
私と同じルートで通学する生徒がおらず、存分にひとりの時間を楽しめた。
できる限り怪しまれない程度に、できる限り遅く帰る。

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李家に生まれて #6

李家に生まれて #6

学校のテストは100点を取らなければならない
男に負けるな
食事はできるだけ早く食べろ
学校から帰ったら遊びに行ってはいけない
友達のお家にお呼ばれしても断るべし
20時からは机に向かわないといけない
一度の説明で理解できないといけない
友達はいない、競争相手と思え
勉強以外のことはしなくていい
嘘はつかない
感情が昂っても泣いてはいけない

これが当時の親から言われた言葉の一部。
暴力はもちろん

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李家に生まれて #5

李家に生まれて #5

早く大人になりたい。
早く家を出たい。
なんて、子どもって無力なんだ。
10代の私は常にそう思いながら家で過ごしていた。
その無力感や束縛感を感じたからこそ、
子どものころの感情を一生忘れないように持っていくと決めている。

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