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李家に生まれて#14

めまぐるしい台湾生活を過ごすにつれ、

自分は本当に自分の父母から生まれたのだな

とふとしみじみ思うことがあった。

私が留学をしたい、親元から離れなくてはと思い行動した結果は
父が自分の家や国を離れ日本で生活をすると決めたことと
とても良く似ていた。

もともと性格自体も、私はカッとなりやすく感情の起伏が激しい。
私が幼いころの父もそういう一面を私に見せていたから、
つくづくこの親にしてこの子あり、
と自分を呪うような感覚もあった。
似て非なるところもあり、違っていたのは

時代と環境だった。

父が日本に来たころはすでに母と結婚していたが、
私は悠々自適の一人だった。

大学時代、運よく感恩基金会というところの奨学金の
恩恵を受けながら生活し、
大学二年時のころには祖母の家の居候から離れた。

ほんとうの、ひとりぐらし
をたった3畳ほどの一部屋、共同風呂トイレでじっくり味わいながら、
最終的には大学が新しく建てたアパート型の寮に
最終年で滑り込むことができた。

さらに私はありがたいことにコワモテ李先生のお墨付きを得られ、
スムーズに大学院に進むことができた。
この時に、台湾外交部が出している
教育奨学金にも受かり、学部生とは格段に違う生活を送れるようになった。

さらに違ったのは

周りの人たちだ。

この奨学金のおかげで、以前は自分からは繋がりが得られなかった
(自分自身から行くのは避けていたとも言える)
日本人留学生の学生たちとよく交わるようになった。

年齢も様々、目的も様々。
それぞれの事情を抱えながら、同じ環境で過ごす仲間。
特に、出自が私に似ていたり、海外生活が長かったり、
私が付き合おうと思った人たちは
本当にさまざまに素敵な個性を持ちあわせていて、
所謂「日本的」な感覚での付き合いをしなくて済んだことが楽だった。

台湾という環境で、
いろんなことがおおらかになったとも言える。

様々な話をする中で、
喜怒哀楽を共有したり、
共通の問題意識を感じたり、

「私はひとりではない」

と心の支えになっていた。

話せることが楽しすぎて、女子会もよくやった。
女ならではの視点と感情の共有が私には心地よかった。
いつの間にか10人越えの大所帯で女子会をやれたのは楽しい思い出だ。

当時一緒にいてくれた友人たちには本当に感謝しかない。

そんなこともあって、私はいつの間にか顔が広くなり
大学入学時に絶対関わらないであろうと思っていた

日本人留学生会の会長

になることになってしまったのだ。

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