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ぼくらの夏休み2022と長野観光の旅行記 with発達障害児兄弟#5
朝食はもちろん、朝風呂も楽しみ、家族3人リュック以外は宅配してもらうように手配もして帰宅する日である3日目。
ホテルのチェックアウトは一般的な11時。信州まつもと空港から神戸へ向かう飛行機は18時半発。空港は松本市だが、滞在していたのは長野市であり、だいたい2時間ちょっとは覚悟した方がいい距離だと往路で学んだ。小さな空港ではあったものの、空港へは一応余裕をもって1時間前が理想かなと思い、長野市を
進む道を考えあぐねて
お嫁さんになりたいという私の夢を昭和ですかと笑った医者がいたがあれは何人目の主治医だっただろうか。
当時は腹立たしい以外の何も浮かばなかった。実際にお嫁さんになり欲しくてたまらなかった子どもたちを授かった。得られなかった温かな家庭というものを自分でつくればいいという幼い安直な考えからだった。けれど、当時それ以外の夢を抱けなかった私にはそれ以外の何かになることに希望を持てず、「私は私のことがわから
家族紹介ならぬ簡易年表(年が間違ってるとこあるかも)
1988年9月~ 彩木ういるの、もとい私爆誕
199?年?月~ 母のご機嫌伺いを始める
2001年3月~ 両親が別居 小学生時代変な人として過ごす
2001年4月~ 中学入学とともに急にガリ勉になる 相変わらず変な人
2002年4月~ ガリ勉継続 母と姉が父に殺されることを日々妄想
2004年4月~ ガリ勉継続 母の望む高校合格を目指し無事合格
2004年?月~ 厳しい進学校でカフェイン錠乱用しつ
ぼくらの夏休み2022と長野観光の旅行記 with発達障害児兄弟#4
長野旅行でのメインイベントを全力で楽しんだ。次男の空腹ゆえの不機嫌や大雨、戦国時代ならば真田幸村が好きです!という私にとっては訪れた先が聖地でしかなくあちこちにある真田の家紋に目を奪われ、母として至らなかった時間が生まれたこと、普段引きこもりの長男の体力問題など色々あったが、大きな一仕事を成し遂げたような達成感があった。
そして、前日は時間がギリギリな上に疲労感があまりにも強く楽しめなかったホテ
ぼくらの夏休み2022と長野観光の旅行記 with発達障害児兄弟#3
いざ、イベントの8月20日。
予想以上に早く起きた子どもたち。次男がまだ?あと何分?としきりに聞いてきた。正直、大本命のイベント前に出かけるのはすごく不安だった。大人でも疲れているといつもよりイライラしてしまうように、我が子たちもそうで。そして、手に負えないレベルになりがちだからだ。他の人も楽しみにしているイベントで、イライラに身を任せた我が子たちが前の座席を蹴りながら泣き叫ぶのは避けたかった。
ぼくらの夏休み2022と長野観光の旅行記 with発達障害児兄弟#2
高速バスさえ乗ればホテルへ行くだけ。予定していたバスに乗れたので、夕食も間に合うし、翌日の「ぼくらの夏休み2022」の会場もホテルから徒歩圏内。計画通りに進んでいる気でいた。
高速バスの「次は長野IC」というアナウンスと共に降車ボタンを押し、もうすぐだからねと子どもたちに声をかけた。苦手な地図だが、ホテルまでの経路案内をアプリで準備して、長野ICのバス停で降車した。
高速バスこそラスボスと思い
ぼくらの夏休み2022と長野観光の旅行記 with発達障害児兄弟#1
イベントの前日である8月19日。14時20分に我が家を出発した。
突然の変更が受け入れ難い我が子たちなので、もしかしたらホテルの夕食に間に合わないかもしれないことは前もって伝えておいた。発達障害をもつ彼らとずっと接してきたので、先に話すのはもう無意識レベルのことだ。とは言え、私にも予想外なことが起きるのがお出かけ。癇癪も覚悟して、心の準備もばっちりで出発したつもりだった。
最寄り駅から地下鉄に
ぼくらの夏休み2022と長野観光の旅行記 with発達障害児兄弟#0
発達障害をもつ我が子たちは、自分でもどうしようもないこだわりや衝動が各々にある。まず何より、予定通りには決して進まなかったなかで、無事に行って帰ってくることに協力してくれた彼らへ心から感謝だ。誠の感謝。
いくつか子どもたちとYouTubeのチャンネルで気に入ったものを一緒に楽しんでいる。その中のひとつに「ぼくらのキャンプ」というチャンネルがある。ここについて説明をし始めると旅行記で無くなるので、