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エッセイ

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#人権

人間性のかけらもないと言うが、残虐な行為や、凄惨拷問、快楽殺人は人間しかやらない。動物は戦争を起こさない。武器も作らない。特に大量兵器は作ろうと思っても作れない。
人間性のかけらもない行為は、同時に、最も人間らしい行為でもある。

最初は便利な道具でも、いつか武器として使用されるようになる。人権やマイノリティー性、弱者性も同じ。客体化される危険はいつでもある。

頭が凝り固まった人間が訴える、人権ほど恐ろしいものは無い。

人権が、人権がって言う人増えたけど、人権と人権てぶつかるんだよ。権利と権利は、摩擦を起こすんだよ。
感じ方は人それぞれ、そういうのは、嫌がる人もいるよ、迷惑に感じる人もいるよ、ってところから入ったほうがいいと思う。

誰もが自由に自分らしくが理念のはずだったのに、いつの間にか誰もが不自由になり、自分を押し殺して傷ついている。疲れている。
息苦しい。
自分の欲望を満たすために、他人の権利を侵害してはいけない。自分の目的を果たすために、他人を傷つけていたら、それはもう人権擁護でも何でもない。

誰かの保護や支援をするときに使われる人権て、それ責任逃れの免罪符なんじゃないの?
明らかに精神や知的に障害があるホームレスを保護できなかったり、誤解を招くビジネスや、カルト宗教の脱会希望者や、脱会者への公的支援機関がない。全部人権や自由を理由にしている。変だよ。

正義の義務

正義の義務

人権やジェンダー関連の活動家や研究者の中には、まずは、有資格者による心理カウンセリングを受けたほうが良いと思う人がたまに見受けられる。
個人の経験を一般化する事は有害だし、自身の経験を他者に投影することも、危険だ。社会通念を固定化し、新たな社会問題や、偏見を生み出しかねない。

正義を理由に、他人の人生を否定する権利や、コントロールする権利は誰にもない。
なんぴとも、喪失体験を理由に、社会に復讐し

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もしもらえるのなら、ノーベル賞なんていらない。
マグサイサイ賞かアストゥリアス皇太子賞が欲しい。

ヘイトスピーチや誹謗中傷を撒き散らして"表現の自由"と言っている人がいるが、表現の自由が保障されるのは、他人の人格と人権を傷つけない範囲でというのをいい加減に学んだ方がいい。

弱者救済は大好きだけれど、弱者と触れ合うことは大嫌いな人は山ほどいる。
過去の自分を思い出したり、心の底で軽蔑したりしているからだ。

愛はユニバーサルだけど、愛の形はユニバーサルじゃない。
愛にユニバーサルなかたちなんてないんだよ。っていうか、あっちゃいけないんだよ。

愛や正義、人権について、熱く語る人。
あなたたちに守りたいものがあるように、あなた達から見て取るに足らない人たちにも、守りたいものがあるんだよ。
それがわかんなきゃ、何一つ守れるものなんてないんだよ。