三条露路
日々のなんてことないことを綴ってそれらを晒しているのだが、どうやって見つけて下さったかわからないが、私の記事を見つけて元気を出して下さる方がいる、慰めにして下さる人がいる。勇気のもとにしてくださるる人がいる。これほど嬉しい事は無い。 私は宣伝もうまくないし、売り込み方も知らない。 エディタの使い方もわからないし、写真も載せない(オーバーワークになるし、面倒だから)。 それでもこんな素人でしかない人間の書いたものを、わざわざ忙しい合間を縫って、読んで下さる事は本当にありがた
人工知能って完全に形容矛盾だ。 知能は人工的なものじゃない。人工的に作った時点で、知能ではないし、ましてやそこに知性は1ミリもない。 パソコンや、スマホと同じテクノロジーでしかない。 人間が生み出した、まあたらしくて、一見便利に見える最新技術。 それ以上でも、それ以下でもない。
知らぬ間にギャラリーがAIだらけになってて、唖然。 不自然で気持ち悪い。 絵って、作り手の個性があって初めて価値が出るのに、デッサンも表情もみんな同じじゃ意味ないじゃん。アイキャッチのために使うのに、差別化できないじゃん。 AI画像は画才がなくても、誰でも作れる。大量生産も簡単。 労力も才能もいらないから、価値としてはすごく低い。 デジタルアートとも違う。 AI画像は、芸術では無いと思う。 AIがどんなにバズっていても、流行にそのまま乗っかるのは私の性に合わないので、これ
いつの間にか、ギャラリーのイラストがAIだらけになってて、唖然。 描き手の個性や、描かれた人たちの表情が違って初めて価値が出るのに、みんな同じじゃ意味ないじゃん。 私はこれからも手描きや、パソコン使いつつも、描き手の個性や、人となりが感じられる画像を大事にしていきます。
理想の人ってさぁ、自分の理想ってさぁ、本当に求めてるものばかりじゃなくて、実は自分を守るための壁だったりするんだよね。 理想の人が目の前に現れても、必ずうまくいくとは限らない。 むしろ違和感があったり、圧倒されたりする。 理想の人は、完璧な答えではないんだ。
言葉の使い方で、伝わり方の精度は全然変わる。 語尾を丸くするだけでも、相手に与え、印象は大きく変わる。 (この表現は、自分で思いついたものだけど、すごく気に入ってる)。 人とのコミュニケーション手段が、テキストベースに偏っているからこそ、言葉を大事にしたい。
"感謝しかありません"ってことが最近よく聞くけど、日本語的におかしくね? 感謝でいっぱいです。 で良いじゃん。
子供をコンテンツ化する親ってのを見たけれども、ケースによっては、代理ミュンヒハウゼン症候群の新しい形なのではと思ったり。 私は臨床家でも、研究者でもないので、この分野に注視してくれる人が出てくれると嬉しい。そのうち論文出るでしょうけど。
精神科もチーム医療必要だと思う。がっつり症例を検証したり、スクラム組まなくても、 個々の患者さんの特性や、困りどころを共有して連携はできるはず。 自分はコミュニケーションが苦手だから、コスパが悪いからって、1人でやってるクリニックあるけど、それ続けてると、周り見えなくなってワンマンになる。イエスマンしか置かなくなって、新しいことを学ばなくなる。外部の意見を聞かなくなる。 それっていいことなの? 大学病院の白い巨塔と何ら変わらない。ちょっとしたカルトだよ。 連携…日本人は
精神科もチーム医療必要だと思う。 がっつり症例を検証したり、スクラム組まなくても、 個々の患者さんの特性や一番困ってるところを共有することはできるはず。 日本の医療制度って、 患者の為でも、一般開業医の為でもなくて、最早医療じゃないんじゃないかって感じることも多い。
以前は真夜中に返事が返って来なかったら、不安で仕方なかった。 今は、その人が寝てるんだとほっとできる。 成長したなぁ、わたし。
寝る前に、親友と話していた。 私たちって報われないよね。 知的障害があるわけでもないし、身体障害があるわけでもないから、それなりのコミュニケーションも取れるし、自力で動ける。 だけど、難しさがないわけじゃなくて、むしろ辛い事が多い。 必死でやってるのに、空気読めとか、察しろとか、もっと気が効かせろとか言われる。 やっとできるようになると、さらに上を上をと求められる。 基礎的な能力が高いから、期待されることが多い。 過剰適応して体調崩しても、感覚過敏で辛くても、頑張れって言った
薬物中毒の人のドキュメンタリーを読んだ。泣いた。 彼らはサバイバーだ。 立ち直ろうとする人を、必死で頑張っている人を、心ない言葉で足蹴にするのはやめて欲しい。 好きで中毒になる人はいない。皆、理由があって、苦しみからの逃げ場が欲しくて、選択を間違えてしまっただけ。 あなたにだって、そういうことあるでしょう。 サバイバーの人たちは、抱えているものが、他の人たちよりはるかに重かった。 望まずとも、気づいたら依存症になっていた。 あなたが今健康なのは、ただラッキーだった
大学の課題を否定はしないけど、教員が指定した内容だけだと、何か足りなくない? レポートひたすら読むの、先生も疲れない? その形だと、学生は言ったことしかやらなくなるし、自分で考えず、単なるやっつけ仕事になるよ。 フラフラ歩いてて思いつくこともたくさんあるんだよ。 街にはヒントが溢れているんだよ。 フィールドワークって、肩肘貼らなくてもいいの。 (そんな事言ってるくせに、何事にも全力投球しすぎて、卒業後に倒れたのは、秘密です)。 必修や選択必修の内容によっては、課題は必要。
140文字って短いな!
大学で社会学系専攻したけど、国際政治学や、宗教学、言語学、哲学、異文化コミュニケーション、比較文化論、メディア論やら色々やっといてよかったわ。リベラルアーツの大切さを、今ひしひしと思う。 あのカリキュラムの必修科目の中身(と教員達)はどうかと思うところもあったけど、それでもまぁ、なんだかんだ言って今も役に立っている。(いや今だから)? 私立だから学費無駄に高かったけど、(何なのこれ?と在学中に思っていたことが、後から証明された。学費付近から、裏金がいっぱい作られてたよ)。