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【備忘録】人形町〜日本橋蛎殻町〜日本橋高島屋 ①
仕事に疲れ、
思いつきで京急に乗る。
横浜から特急で品川までは30分ほど。
途中川崎、多摩川を渡れば蒲田。
東京の下町を通り、
高架になりごちゃついた生活感のある街並みから、一転高層のビルが立ち並ぶ。
品川は建設ラッシュらしく、
コロナ前よりも更地の砂利が目立つ。
品川から泉岳寺より浅草線に乗り継ぎ、
人形町まで行く。
古くからある街並みに老舗の看板が目につく。
今はどこのデパートにもある今
岐阜に至る② 足跡を辿る旅 〜国分寺、見なくなった光景。
祖父が亡くなったのは確か昭和54年の
5月と記憶する。
それは明け方で静かな最後だった。
肝臓がん末期の痛みは酷く、壮絶だと聞いていたのに、その顔は微笑み、どこかホッとしたのを覚えている。
数年前に母方の祖父を亡くしていたので
身内の死は初めてではなかったはずなのに、
わたしはひどく打ちひしがれた。
まだ幼く、たまにしか会わない母方の祖父は
美しい思い出しかなく、
彼の人らしい生臭さを知らぬま
岐阜に至る ①新宿の病院で。
昭和30年の武蔵国分寺の一坪はいかほどだったのか?
祖父は思い立って100坪ほどの土地を購入し、
こざっぱりとした平屋を建てた。
駅からはゆうに20分はかかり
まだ都内に勤めていた祖父は
片道1時間の通勤で
この終の住処を得た。
当時家のまわりは見渡す限り草地。
原野が広がり、遠くに駅の光、
西には北府中の東芝があるのみだった。
まさに田舎の一軒家。
安いとはいえ、家人にとっては
いささか迷惑