見出し画像

反則、場外乱闘な父

父とはよく性格が似ている。
似てる奴ってのは、
たいがい、ちょっと苦手なもの。


仕事も同じ系統、考え方や性格も同じだけど、
なぜだかお互い認めてるようで認めてないようで、深いところでは認めているような、不思議な関係。
ま、そんなんだから、会えば四六時中もめる。

どんなことでもテキトーな母がいなければ
うちは大変な事になっていた。

ただ、娘に対する愛情は有り余るくらいあるようで、それが悲しいくらい空回りして
口をついて出てくる言葉はいつも辛辣。

おいおい!って思うこともしばしばだが、
今や高齢となった父との向き合い方に少し悩んでいる。

奴ももう高齢。
元気なものの、
いつ逝ってもおかしくないお年頃だ。
そろそろ日頃の不義理を謝って
この世での無礼を清算しておきたいところだが、
どうも正直になれない。

母とは割となんでも話せるのに
父とは変な距離感ができてしまった。

そんな「憎むべき」父が
10年前に頭を強打してICUに入った。

もう危ないかも知れぬと娘を伴い数時間かけて病院に駆けつける。

日頃の悪態ぶりはすっかり洗い流されて
若い頃のように清々しい父がそこにはいた。
声をかけると静かに目を開けて、

「ああ、来てくれたの?」
とまるで往年の映画俳優のように
美しく微笑む父。
なんだよ、最後はこんな綺麗なのかよ!
いい思い出にして死ぬんじゃないよ!
とその時は真剣にそう思った。


その後、奇跡的に回復。
後遺症も克服。
そしてまた一言多い頑固ジジイの復活である。
わたしはまたイラつき、怒り、
その父に手を焼く。

先頃、父の誕生日にささやかなお菓子を贈る。
母所有のLINEにて一言。

「高級なやつは違う」

これは美味しかったのか?喜んでいるのか?
いつものようによくわからない謎のジジイだ。


わたしはこの父の底なしの二面性を本気で恐れている。
恐れているのは頑固ジジイのほうではなく、
最期に見せるであろうダンディで、潔いい父のほうである。
日頃はいけ好かなくて、最後にああいう姿を見せるのは、反則である。

あの父のために
一生号泣しなくてはならない未来の自分がいると思うと、
なんともやりきれない。

親とは超えそうで超えられず、
超えながらそうとは知らず
曖昧なまま生涯行き過ぎる
なんとも厄介なシロモノなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?