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昭和生まれは、パンデミックに弱い?

ちょうどオイルショックの頃、
わたしは8歳くらいで、
当時の母は
買い物でトイレットペーパーの包みを
わたしに持たせる「儀式」に
取り憑かれていた。

元来心配性で
最初に生まれた子に死なれ、
わたしという生まれた娘は
幼少期に大病をして
母親になってからの彼女は
心配と不安と、悲劇に苛まれ、
いよいよ不安症は加速するばかりだった。

結婚時にあった容貌は、
数年で衰え、
物心ついた時には
割と貧相な母親だった。

言わずもがな、
オイルショックの頃は
極端にトイレットペーパーが
店頭から消え、
どこの家庭も年端のいかないこどもさえも従えて
スーパーマーケットに走ったものだ。

仕事で夜半に帰宅の父に代わり、
母の買い物のお供はわたし。

トイレットペーパーの補助要員だと
わかりきっていても、
娯楽の少ない時代、
こどもにとってのスーパーは
なかなかのアミューズメントではあった。

最初は母から施されて取りに行き、
少し経つと自ら取りに行き、
オイルショックが終わる頃には
トイレットペーパー売り場に行こうとすると、
母に止められた。

だが、習慣というのは恐ろしいもので
スーパー=トイレットペーパーの刷り込みは
しばらくわたしの中に残り、
それから数年は、
トイレットペーパーを無視するのが
難しかった。

数年前、コロナ時期に
また同じことが起こった。

店頭からトイレットペーパーが消えつつあり、
わたしの眠っていた「トイレットペーパーへの熱」が再燃し、
当時同居をしていた娘をけしかけた。

娘は
「トイレットペーパーはまだあるよ。
ママみたいなおばさんのせいで、なくなっちゃうんだよ。辞めなさい」と冷静に諭された。

えええ!
とは思ったが、
我が家の在庫を見ると確かにある。
考えてみれば、代替品はいくらでもあるので、
親子喧嘩するほどでもないなと思い、放置。

在庫の半分も使い切らないうちに、
店頭在庫は回復。

まだまだパンデミックに弱い昭和世代なのである。

案の定、母に電話をすると、
もちろん買い占めていた。
こういう人がいるから、物が無くなるのね
と自責の念もあり、
昭和世代はパンデミックに弱いのかなとも思う。

ましてや、戦争という現実で傷めつけられ、
嫌という程の辛抱を
強いられてきた世代にとって、
パンデミックはカラダに刻まれた近い「現実」なのかもしれない。

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