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鰻屋の今昔(いまむかし)

木挽町のビルの狭間にその鰻屋は今でもある。
私が知っている限り店主は三回変わり、
初代と今の店主が縁戚関係にあるのか、
徒弟関係にあるかは知らぬ。

銀座の外れにあるこの店は、
そこそこの値段で鰻重を出す。
鰻重を頼むと奥で職人が炭で焼いてくれる。
椅子に深く腰掛け、濃いめの茶をすする。
見渡すと、年配の夫婦、
仕事先の取り引き相手か数人の紳士たちのテーブル、若い女性を連れてきた初老の男のテーブルなどがある。
おばさんのひとり客は珍しいのか、店主の妻は時折物陰からちらりと見ている。

鰻屋というのは待っている間に
「独特の」醍醐味があると思う。
奥で気忙しく串を打ち、やがてハタハタと火を煽るかための団扇の音がする。
何百回と打ち続け年季の入った持ち手は
黒く煤けているだろう。
鰻の脂が炭に落ちる音とともに、やがて香ばしいあの匂いが店中に広がっていく。
デーブル席6組ほどの
程よい広さの店内は、談笑しながらも五感はすべて焼き場の鰻に集中している。
ある意味どの客も、話の内容など上の空で、
今か今かと自分の鰻のことばかり考えている。

やがて肝吸いと香の物が付いて静々と盆に載せられた鰻が到着する。
丼がのれば我のと思う者、今日は奮発して大きな重を頼んだ者は、そう簡単には来ぬまいと泰然と本など読んでいるが、
その実、活字を追うどころではない。

蓋を開けると白飯にのった照りのいい鰻が顔を出す。骨づたいに箸をスッと通すと、湯気をたててふっくらとした白い身が現れる。箸を立て鰻を白飯ごとひとくち大に切り、湯気の立つそれを口に頬張る。身の柔らかさと濃く沁みた甘辛のタレと白飯の絶妙な組み合わせ。鰻重のひとくち目を食べた瞬間、ああ、日本人に生まれて良かったと思うのは決して大袈裟な事ではない。

それにしても鰻を最初に捌き、食した者はなかなかの度胸のある御仁であったと思う。
あのヌルヌルとした蛇と似た形状の魚を果敢にも捕らえ秘密裏に捌く。焼いて食べたらことのほか脂身があり味も悪くない。
隠れて何匹か獲り、妻にも子供にも分けてやる。最初訝しく思っていた細君もあまりの美味さに唸ったに違いない‥‥。


この鰻屋は先代の頃によく祖母が折り詰めの出前を頼んでいた。時々は重にして熱々を運ばせることもあったが、晩年は人数分をそれぞれ折りにしてもらう事が多かった。
本当は配達などしない店だったが、
大のお得意さんだからと、店が空く時間を見計らって店主が下げてきていた。

品代の他にこころづけをつけて、江戸っ子の粋な風情の祖母が支払いをする様を見逃さなかった。
叔母がこそっと店主に持たせるのだが、
いつも目ざとく気づき、サラッと勘定を済ます様を見るのが好きだった。
子どもの前ではお金の話はしない、
いつもは質素で出す時は潔く出す、というのが母の家系のお金との付き合い方だった。

時代はのんびりとしていて、
まだ年寄りが僅かではあるが贅沢な食を下の世代に振る舞う程の余裕があった。
時は変わり、世の中は世知辛くなり、
実際に年寄りの暮らし向きはどんどん過酷になっている。定年まで働きそれなりの蓄えがある恵まれた年寄りでさえも、日々の暮らしに追われているようだ。

私などは余裕などまるでないのに、
孫子(まごこ)には美味いものを食べさせる我が家のスピリットだけを継承し、時々困ったことになっている。それでも若い人が美味しいものを食べている姿は、かけがえのないもの、幸せな時間であると感じている。

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