ニュースからの学び その3 変動相場制 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
常に最先端に身を置くというのが私の信条です。
時代は1960年以降。私がまだまだ言葉もおぼつかない頃からニュースのシャワーを浴びていました。父親が先ずは読んで、会社でも購読しているからと置いてい行く新聞、そして毎日の朝食の食卓に流れるNHKニュース。
高度経済成長期に生まれ育ちました。大統領はリチャード・ニクソンさん、首相は佐藤栄作さんでした。
景気は常に良くて安定している社会。社会科の授業も近代や現代は教えない時代なのでついこないだまで世界大戦をやっていたなんて言うのは実感が湧きませんでした。唯一池袋駅に戦争孤児の方々が居て、空缶を置いて居ると大人の人がお金を入れて立ち去る姿を見た記憶が残っている程度。しかもその方々も直ぐに見かけなくなりました。
そんな安定していた日々、大学生のように自由だった小学生時代から受験というゲームに本格的に参加する中学生、高校生時代に突入するタイミングで、世の中もそれにシンクロする感じで大変化が起こります。
変動相場制への移行はその始まりでした。
それまでは1ドル360円。米国の大統領や日本の首相が変わらない様にドル円の交換レートも変わらないものだと思っていました。それが連日の為替レートの動向のニュースやニュース解説のシャワーを浴びるようになりました。日々角度を変えての解説をニュースとセットで学び続けるのは知的にとても心地よいものでした。最新のネタに編集という作業を経て提供される解説は、常に最先端に身を置くというのが私の信条に見事に合致する所作でした。ですから変動相場制の理屈はとても良く理解できたのです。
余談ですがこんな感じでの学びのお陰で共通一次試験(大学共通第1次学力試験)という新設された国立大学の入試で入試科目に政治経済を選択したのですが、殆ど受験勉強は不要でした。
相場については、商品相場、具体的には小豆相場に誘われて初めは儲けさせてもらったものの結局手痛い目に会ったという話を何度か聞かされたことがありました。
また、ボードゲームセットの中に相場ゲームが有って株や石油、穀物などの価格がサイコロの目で変動しその売買で最も儲かった人が勝つというものがありました。それは得意で良く勝てたという記憶が有ります。
しかし相場そのものにはその頃の私は実感を持てずに居ました。ですから私には為替が相場として変動してしまうとは、何とも不安定な…。それで良いの?との、素朴な疑問は理屈は分かってもそれでも何か腑に落ちないという感覚は残りました。
相場という言葉をニュースから多面的に学ぶ機会を人生の初期の段階、小学校高学年で得た為に、その後の人生はより深いものとなりました。
その辺りの具体的な例は、連作として既にまとめて有ります。宜しければお楽しみ下さい。
ということで、この変動相場制のニュースとそこからの学びは、私の安定していた日々からの大変革期のキッカケとして深く心に刻まれ、その後の人生をとても豊かなものにしてくれたのでした。