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今あるものを最大限に活かす その3.0 未来のためできること 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 常に最先端に身を置くというのが私の信条です。

 だからこそ今あるものを最大限に活かすということを常に意識しています。新しいものに貪欲であるからこそ、新しいものを喰い散らかさないという感じでしょうか。

 義父母が残した鉄骨住宅。それは東京から鉄道でも車でも1時間程の通勤圏ですが、海と丘陵が美しい街に有ります。
 そもそもその地の東南角部屋最上階、スペイン瓦をあしらった100m2の当時としては広々した間取りのマンションの抽選に当選したことからの御縁。そのマンション群の有るところは、建物もその周辺も良く手入れがなされていてまるでフランス南部・プロヴァンス地方の様です。因みにプロバンスは東はイタリア国境で南は地中海と正に海と丘の街。プロヴァンス風住宅の最大の特徴と言えば、青空と緑に映える明るい色の外壁と瓦屋根ですかね。ここはそんな雰囲気です。

 そもそもこの地域は岩盤質で宅地開発は難工事を極めた曰く付きの地域。当初の土木工事会社は岩盤質の難工事にギブアップ。事前調査は当然するだろうし、そんなこと有るのかと思いましたが、実際に有ったんだそうです。その後岩盤質地域の工事を得意とする業者に引き継がれて地域開発が完了した様です。
 周辺道路の道幅は5m以上と広く公園も各所に整備され、各段階毎の避難所完備、防災対策も包括的に整備されていて流石は新しい街という感じです。
 公園には、くだんの件に関して地域開発の難工事の費用を負担した方々や工事を担当した会社そして開発経緯を銘じた石碑が立っているほどです。そこまでするほどの大事だったのですね。
 その公園までは徒歩30秒という素晴らしさ。その公園の外周は片側1車線の道路が囲っています。その道路には広々した歩道も両側に整備されています。その公園の北側のひな壇は上り斜面、南側の斜面は下り斜面になっています。公園の周りは金属製フェンスの中に木々が植えられていて藤棚にある3脚の長椅子型ベンチから見ると、木々に囲まれていると思える景観設計がなされています。また大きな桜の木が10本程度の庭園、

青空と桜の木

子どもの遊び場、鉄棒、砂場、20mx10m程度の土のグラウンド、防災倉庫が有り、バスケットのゴール、そして野球のバッターボックス裏のフェンスを兼ねた出入り口と豪華な設備です。

 歳を取ってからは5階は辛いとマンション以外に眼下の角地の一戸建てを買い足していました。ひな壇なので地下車庫まで有る家です。

 私が育った都区内の市街地は道幅は狭く、今や絶滅危惧種の5ナンバーの車、巾2m未満の車がやっとすれ違いができる程度、宅地も一区画150m2と50坪弱。狭隘(きょうあい)の極みでした。並びの貸家にしている土地に至っては一区画100m2と30坪程度と正に軒を連ねる感じでした。火災が起きたら延焼必至。至近の公園まで徒歩3分はありました。
 公園については、近所の長屋式の都営住宅が廃止になり跡地が公園になったのでまともになりました。防災倉庫と保存されている桜の大木大と地続きになりました。

 それに比べても義父母の選んた地域はアップデートされた作りです。加えて丘伝いに尾根を数分歩くとハイキングコースの入り口になります。と言ってもこの半島の最高峰でも海抜200mは無く、手軽なハイキングコースです。一部は東京電力さんの高圧線の鉄塔管理用の山道とも接続されていて、ちょっとしたハイキングコースが多数あります。礫岩の産地もありロッククライミングの練習が出来るところまで。雪が降ることも殆ど無いので1年を通して楽しめます。

 そもそもぼんやり老後は何処か静かな別荘地でと思っていました。子どもの頃はぼんやり避暑地の高原に住みたいと。

 でも今はこの海と丘陵に恵まれた義父母の残した土地が心地よいのです。温暖で真冬でも都区内に比べればそれ程寒くもなく、絶妙に塩害もない。

 ある意味で別荘かなぁ。

 この土地と家屋をアップデートして未来の世代ためできることをしておこうかと思っている次第です。

つづく

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