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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2023年4月の記事一覧

感情は必ずしも目には見えない

感情は必ずしも目には見えない

外側に出す感情の大きさと
内側にしまい込んでいる感情の大きさは、
もちろんイコールではない。

――と、
自分の事なら実感としてわかるのに、
他人の事だと、やっぱり、
外側に出ている(見えている)感情の大きさで
測ってしまう。

なので例えば
「感情の起伏が激しい人」について、
見てしまうのは、
あくまで「外側の」
感情の起伏の激しさだけであって。

見えにくいけど、
または全く見えないけど、

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自分が心から楽しめることは案外限られている

自分が心から楽しめることは案外限られている

「理屈じゃない」というのは
重要なキーワードである。

「自分が心から楽しめること」
について、
「何故?」と訊かれても、
困るのである。

いずれにしたって、
その「自己分析結果」の中に、
答えの全ては、多分、
含まれてはいない気がするのだ。

人と人にも「縁」があるように、
人と物事にも「縁」は
確実にある気がする。

「理屈じゃない」
「説明できない」
けれど、
「心がやけに惹かれる」。

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「支配されたい欲」を持つ人が世の中多くなった気もする

「支配されたい欲」を持つ人が世の中多くなった気もする

この記事のここの部分について。

ここから
ちょっと更に
発展させて書き足し。

「何でもかんでも
上から言われた通り」が
「ラク」で、
なんなら「幸せ」、
――そんな人が
最近増えている気がする。

人々を集団にしても、
「まとまりやすい」
「扱いやすい」
これは一見
「良いこと」にも見えるけど?

――そう、
この世の中に「善人」しかいないのなら、
それは、のどかで穏やかで、
「素晴らしい世界

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それは時と時の「隙間」にある

それは時と時の「隙間」にある

※本日はいつにも増して、「個人的感覚の話」です。

他者からも、そして自分自身からも、絶えず「せっつかれている」ような感覚が、自分にはある。
(――という、この話までは、以前にも記事にしたことがあったような気がする。)

あるいはこれは、時間についての「隙間恐怖症」とも言えるものなのかもしれない。

時間に限らず、「無駄を嫌う」そのこと自体は、本来、悪いことではないはずだ。

――が、しかし。

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目障りなので始末したい(笑)

目障りなので始末したい(笑)

「美しさとは何か」みたいな
美しいものに対する
その定義とか感覚とか価値観とか
そんなのは人それぞれの筈で。

なので逆の
「醜いとは何か」も
それは勿論 、人それぞれになるだろう。

が、
「誰にとっても、どう考えても、 これは醜い」
ってものは確実に存在すると思う。

――目障りなので始末したい。(笑)

この世にある、
色も、音も、自然も、
美しいものばかりで。

――これだけたくさんのもの

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いいように使われたくないなら「いいように使われるキャラ」をまず捨てる

いいように使われたくないなら「いいように使われるキャラ」をまず捨てる

一昨日のこの話の続きかもしれぬ。

他者から「いいように使われる」
それが嫌なら、
「いいように使われるキャラ」を
捨てたほうが
(「なるべく」でもその空気感を
自分で意識して減らしたほうが)
いいのだろうな、
なんてことを思う。
(嫌じゃなければ、
別に構わないとも思うけど。)

よいことも悪いことも
すべてのことには
何らかの「因果」がある場合は多い。

その「果」に対しての「因」
――「人か

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姿勢が悪い。(いろいろな意味で。笑)

姿勢が悪い。(いろいろな意味で。笑)

姿勢が悪い。

背中も丸まっているし、
自分の場合、
生きる姿勢も悪い。(笑)

常に意識していないと、
すぐ姿勢が悪くなる。
(両方とも。笑)

でも、……でもねえ。

ずっと背筋伸ばしているのって、
疲れません?

――本当に、
姿勢良くするほうが
健康にいいのかなあ??

(あ、
これは「反語的疑問」ではなく
単なる「素朴な疑問」です。笑)

「健全な精神は健全な肉体に宿る」
とは言うもの

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「100%信じる」ものから疑う

「100%信じる」ものから疑う

「マインドコントロール」とか「洗脳」って
されている側にとっては、
「まさか自分がされているわけない」 なんだよな。

――と、いうのを
踏まえた上で思うのだが。

小さな洗脳やマインドコントロールは、
日常的に、どこにでも、
存在しているものだと思う。
(「意図的なもの」と
そうでないものと。
――そう、その二つが
「混在している」から
かえってわかりにくくもなるのだが。)

つまり、きっと、

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後ろ暗いことがないなら「とにかくまず堂々としている」必要がある

後ろ暗いことがないなら「とにかくまず堂々としている」必要がある

「毅然とした態度・対応」って
やはり必要だなあ、と思う。

無論それは
「攻撃的・威圧的になれ」
ということではない。

が、
何かを(正当な理由から)
お断りする時とか、
物事の「訂正すべき箇所」を
指摘する時とか、
「ゴメンナサイね~」てな感じで
あまり「ヘラヘラ・ヘコヘコ」と
し過ぎないほうがいいのかもな?と
私は最近になって感じているのである。
(ようやくそこの辺りを
「学習・習得」できて

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「優しい」と「人の心がわかる」は別の話である

「優しい」と「人の心がわかる」は別の話である

たとえば、
繊細な人だからと言って、
または 優しい人だからと言って、
必ずしも、
他人の心の「機微」までもを
読み取れるとは
限らないんだよなー。

――それはどうやら
優しさとか繊細さとかとは
ある意味、別の力みたいだよなー。

あ、別に
・優しい
・繊細
・人の心の機微が読み取れる
これらのうち、
どれが良くてとか、
どっちのほうが上でとか、
そういう話ではないです。

(また、もちろん

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「告げ口文化」を盛り立てよう(笑)

「告げ口文化」を盛り立てよう(笑)

人は何故、「告げ口」を、どこか「悪いこと」のように思うのだろう??
――昔から、私には不思議で仕方がなかった。

いじめ然り、パワハラ然り。

先生や上司に、その「悪事」を「言いつける」のを、何故かためらうのである。
――何故だ???

実際、私も、「言いつける」行為には、昔からどこか「後ろめたい」ような気持ちがあった。

けれども。

悪事を目の前にして、誰にも「言いつけない」ことのほうが、本来

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私は言葉を信じない

私は言葉を信じない

タイトルを見て「?!」と思われた方もいるかもしれません。
――ま、でも、もしよかったら、最後までおつきあいいただけたらうれしいです!

読んでいただけたら、私の思っていることが、きっと伝わるのではないかと思うので!

ある作家さんが、こんなことをおっしゃっていた。

私の中でこの「名言」は、読んだ当時から腑に落ちすぎて、その後大ヒットロングランとなって、今でも常に頭の中にある。(笑)

この名言の

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その「目先の利益」は本当に利益か

その「目先の利益」は本当に利益か

無論、
「明日喰うものに困っている」ならば、
話は別であるが。

そうでもないのに、
どうしてこう、人というものは
「目先の利益」に
飛びつくものなのだろう、と。

まず、
湯川れい子氏のこのツイートから。

今の東京の開発の様子って
まるで
「一瞬たりとも損したくない」
と血眼になって、
「我先に」と、
競争しているような感じで。

そのスピード感とやらの「貧しさ」よ。

薄っペラい。

長い時

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「生きる」とは「リレーすること」である

「生きる」とは「リレーすること」である

「自分の姿かたちはなくなっても
人々の記憶には残るのだから」
というものの考え方で、
一時期はいたのだが。

しかし、それでいくと
「いや、人の記憶もまた
時とともに必ず
薄れていくものですよ?」
という声が聞こえてくる。

ならば、我々は
「現世で何をしたところで、
そのすべては
いつかは必ず消えていく」
そんな運命にあるのだろうか??

その中で、
「永遠に残り続けるもの」は
本当に何もないの

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