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「100%信じる」ものから疑う

「マインドコントロール」とか「洗脳」って
されている側にとっては、
「まさか自分がされているわけない」 なんだよな。

――と、いうのを
踏まえた上で思うのだが。

小さな洗脳やマインドコントロールは、
日常的に、どこにでも、
存在しているものだと思う。
(「意図的なもの」と
そうでないものと。
――そう、その二つが
「混在している」から
かえってわかりにくくもなるのだが。)

つまり、きっと、
こんなことを書いている
私自身だって既に多少
何かしら「されている」のだとと思う。



「思い込み」が
ゼロで生きている人はいない。

そして、その「思い込み」の中には、
誰かが意図して
「そうなるように仕向けた」ものも
もしかするとあるのかもしれない。
(それに自分が気づいていないだけで。)

――そう、それはやはり本人が
「気づかぬうちに」なのである。
(何故ならそれこそが
洗脳やマインドコントロールの特徴だからだ。)

信じ切っているものこそ、
少しだけでも疑ってみるべきなのだろう。

「100%信じ切れる」そんなものこそが
この場合、
一番疑わしいとも言えるからだ。

(あと、
「こっちは疑わしくなったから
では逆のこっちをまた信じ切ろう」
みたいなことこそ、
最も危ない気がする。
――それこそが
「意図的なほうのコントロール」の
その「手口」だったりするわけだから。)

(基本姿勢としては、
「必ず全てを少しずつ疑う」
が理想的だと思う。
――ま、それはそれで疲れるけど、笑
でも、それを面白がりさえすれば、
そっちのほうが世の中面白いとも思う。)


そこに「騙す人」が存在する限り、
この世において、
「信じること」その行為は、
必ずしも美しいものには
なり得ないのである。