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後ろ暗いことがないなら「とにかくまず堂々としている」必要がある

「毅然とした態度・対応」って
やはり必要だなあ、と思う。

無論それは
「攻撃的・威圧的になれ」
ということではない。

が、
何かを(正当な理由から)
お断りする時とか、
物事の「訂正すべき箇所」を
指摘する時とか、
「ゴメンナサイね~」てな感じで
あまり「ヘラヘラ・ヘコヘコ」と
し過ぎないほうがいいのかもな?と
私は最近になって感じているのである。
(ようやくそこの辺りを
「学習・習得」できてきた気がする
……今回のこれは全くもって
「自分の話」なのである。笑)


そういうことをする時って、
「相手の気を悪くする」ような
気がしてしまうけど、
別に、気を悪くする人は、
こちらの様子に関わりなく、
どっちにしたって、
気を悪くすること自体に
たぶん、変わりはないと思う。
(それを相手にわかるように
表に出すか出さないかの
その違いは生じるかもしれないけれど。)


それよか、
あまりにも
「気を悪くするんじゃ」と
こちらがビクビクしているふうを見せると、
実はこちらは悪くないのに
「あなたも悪い」みたいに
相手に思わせてしまうような気もする。
(わざわざこちらから
相手がそう感じるように
「誘導」してしまう、ということ。)


無論、
「相手のプライドを不要に傷つけない」
その配慮は十分に入念に
したほうがいいと思うのだけど。

しかし、
「その配慮」と、
「ヘラヘラヘコヘコ仕草」は、
全く別物だ、と気づいた。

つまり、
「へりくだる」をしなくても、
相手の自尊心を守るための配慮は
普通に「別の形で」できるよな?
と、感じたわけである。
(たとえば、
「大雑把ではなく、
丁寧にちゃんと説明する」とかである。)



「私は
難しい人・怖い人・カタい人
ではありませんよ」
と、そういうのを
「仕草」で知らせるのは、
無意味というわけではない。

――ないのだけれども。

しかしこれまでの自分の場合、
それが「過剰」だったのでは?
と、そういうことにつまり
ふと思い当ったのである。

それは
「よかれと思って」
やってきたことだったし、
よい部分ももちろんあるんだけど、
先述したような
「マイナス面もある」ということに、
今まで思い当らなかったのだ。




と、いうわけで、
つい
「無駄に愛想を振りまきがち」な
自分であるからして(笑)、
意識的に、
過剰な「ヘラヘラ・ヘコヘコ」仕草は、
今後減らしていくようにしよう、
なんて思い始めている次第である。



――自分の内側に
他者には見せないようにしてある
「本心」と、
外向きの顔、文字通り
「外ヅラ」の、
その「隔たり」を、
少なくしていきたい、という
「個人的な実験・試み」でも
これはあるのかもしれない。
(それで自分が見えている世界が
また変化していくだろうか。)