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「優しい」と「人の心がわかる」は別の話である

たとえば、
繊細な人だからと言って、
または 優しい人だからと言って、
必ずしも、
他人の心の「機微」までもを
読み取れるとは
限らないんだよなー。

――それはどうやら
優しさとか繊細さとかとは
ある意味、別の力みたいだよなー。


あ、別に
・優しい
・繊細
・人の心の機微が読み取れる
これらのうち、
どれが良くてとか、
どっちのほうが上でとか、
そういう話ではないです。

(また、もちろん、この三つともを
兼ね備えている人も
多くいるだろうし。)


ここからは、
個人の趣味的な話で。

昔は違ったかもしれないけれど、
今の自分は、
「優しい」「繊細」以上に、
「人の心の機微を読み取れる」
その力が最も欲しいし、
そういう人が好きだなあ。

「鈍感力」なんて言葉も
(元は本のタイトルだっけ??)
あったけれど、
でも、
それはそれで「力」かもしれないが、
「知らない」「気づかない」は
やっぱ何だかつまらないと思う。
――そっちのほうが
「集中を妨げられない」あるいは
「ラクだ」としても。


「気づかない」と
「そこにない」のと同じになる。

その分、
見えている世界の
サイズも奥行きも色も
情報量として
「乏しいほうへ」と
変わってきてしまう。

「気づいた上でどうするか」。

面倒くさいかもしれないけど、
自分はそれを
一つ一つ
手に取って考えたいのである。

――もうそろそろ、
その中での
「スルーすべきもの」はちゃんと
スルーできるように、
自分はなっているとも思うしね。