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5月21日(土)、第1344回 「心配」

「心」を

「配」る、

と書く。


日頃から、

他人様へ、

どんな心を配っているのか?、

ということです。


他人様を思い遣る、

ということ、


それは、

人間として、

とても尊い行いであり、

そのような自分自身を、

嫌いなひとなどいない。


でもね、


どれほど、

わたくしが心配したとて、

何の力にもなれんこと、

そういうことは、

世の中、

本当にたくさんある。


「心配しています」

「心配しています」

と言いながら、

自分が抱いた不安を、

ただ、

むき出しで、

ぶつけているだけ、


そういうことはないですか?


わたくしは他人様を心配して
いる、

人間らしいことをしている、


そういう自分の尊い姿に、

ついつい酔っ払って、

言わなくてもいいひと言で、

人間関係をこじらせないよう、

よくよく、わきまえるのだ、

ということです。


「心」を

「配」る

わけですから、

もとより、

「言葉」を

「配る」

必要なんぞ、

ないのです。


ただ、ただ、

黙って、

他人様の最善をお祈りする。


そこに

「心配」

の本質があるのだ、

ということです。


感謝、合掌
慈永

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