kengaku

節子、それ愛とちゃう。ストックホルムシンドロームや。

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記事一覧

雲の上の話

その人の記憶力には恐れ入る。 幼稚園の頃の友達との会話を逐一覚えているし、中学校の理科の授業で先生が炎色反応の説明をしていた様子もついさっきのことのように話す。 …

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10か月前
16

短編小説「アンディ・ウォーホル展」

※本編は、実際に開催されていた展覧会を題材にした作り話です。 明日あいてる? ウォーホル見に行かへん? 京セラ美術館 気が向いたら簡単に京都に出てこられるのが、…

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1年前
30

苗字と革靴

妻の苗字で暮らした時期がある。結婚して、僕が苗字を変えたわけだ。 「暮らした」と過去形にしているので、もうその婚姻関係が終わっていることは分かってもらえるだろう…

kengaku
1年前
15

幸せにしていいよ

僕の二度目の結婚は、彼女にとっては初めてだった。 少々珍しいタイプの結婚だったので、周囲から好奇の目で見られることは想像していたけれど、それとあわせて、彼女は具…

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1年前
30

短編小説「締め日」

経理課長が亡くなった。 難しい病気だったそうだ。年明けに入院して、3月に一時危篤となったものの持ち直し、「もしかしたら奇跡が起こるかも」と期待させながら、6月の末…

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2年前
10

いい人

だいたいにおいて、男というものは自分の母親を正しく理解していない。 僕もそうだった。 結婚する前の女房に「お母さんはどういう人?」と聞かれ、返す言葉がすぐに浮かば…

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2年前
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友だちのために泣いたことはあるかい?

一回り以上年も離れているし、僕と彼は世間的に見れば「上司と部下」だ。 小さな広告会社ではあるが、いちおう僕はリーダーという役割を拝命しているし、実務的に彼にWeb広…

kengaku
2年前
5

記念撮影

土曜日は、義母の着替えを持って病院に行く。 一人で行く。 なぜ血のつながらない僕が認知症の婆さんのために病院に行くのかというと、実の娘である女房が行きたがらないか…

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3年前
4

姉弟喧嘩の顛末

姉弟の仲が悪いと言っても、裁判まで起こして法廷で罵り合うというのはなかなかないと思う。 数年前、姉の代理人と名乗る弁護士から連絡があった。父の死後、母が死んで遺…

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3年前
1

そんな夜のこと

家を出てワンルームマンションに住み始めた頃、ときどき遊びにくる女性がいた。いつもいきなり予告なしで部屋に来るのに、あるとき電話で「今、駅にいるから自転車で迎えに…

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3年前
2

王様がきつい王様ゲーム

ある落語家に聞いた話。有名な落語家がイベントに呼ばれていたが、個人的な都合で当日キャンセルしたのだそうだ。しかし後日、興行主に出演料の請求書を送ってきたという。…

kengaku
3年前
1

最初の授業は「ゆで卵」だった

料理教室に通ったことがある。別に料理が特別好きなわけじゃないし、女性にもてたかったわけでもない。女房との賭けに負けたのだ。 なぜそういう話になったのか、記憶は曖…

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3年前
2

休日出勤

カイシャというものは、基本的には他人の金で大きなことをするための仕組みだと思う。その他人の金を集めるシステムが市場というやつで、もちろん選ばれたカイシャしかその…

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3年前
1

「いつかね」と彼女は笑った

二十代の頃に勤めた会社に彼女がいた。僕は中途採用で、彼女は僕より先に入社していた。いわゆるコンサルタント会社で、一人前に顧問先を指導できるのは「コンサルタント」…

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3年前
2

常識とかバランス感覚とか

noteでは執筆者をクリエイターと呼んでいる。何もクリエイトしていない僕ごときがこれを利用するのは気恥ずかしいが、これでもかつては芸大を目指していた。けれど挫折した…

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3年前
5

夢のような日々の一日目

彼女と同じ部屋で住み始めた最初の日は、仕事が終わると一目散に退社した。一本でも早い電車に乗るために、会社から駅までは走った。駅の階段は駆け上がった。電車の中で息…

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3年前
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雲の上の話

雲の上の話

その人の記憶力には恐れ入る。
幼稚園の頃の友達との会話を逐一覚えているし、中学校の理科の授業で先生が炎色反応の説明をしていた様子もついさっきのことのように話す。
あまりの記憶の鮮明さは、「覚えている」のでなく「忘れられない」と言ったほうがよく、嫌な記憶に苦しめられることもある。そう考えれば一種の記憶障害というか気の毒な個性なのかもしれない。
その人は、昨日のことでもすっかり忘れていることがある僕が

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短編小説「アンディ・ウォーホル展」

短編小説「アンディ・ウォーホル展」

※本編は、実際に開催されていた展覧会を題材にした作り話です。

明日あいてる?
ウォーホル見に行かへん?
京セラ美術館

気が向いたら簡単に京都に出てこられるのが、僕たち関西人の特権である。彼女とはここのところ忙しくて会えていなかったが、昨夜LINEしてひさびさの美術館デートの約束を取り付けた。

彼女とは大阪の高校の美術部で出会い、僕が部長、彼女が副部長だった三年生から付き合い始めた。今年25

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苗字と革靴

苗字と革靴

妻の苗字で暮らした時期がある。結婚して、僕が苗字を変えたわけだ。
「暮らした」と過去形にしているので、もうその婚姻関係が終わっていることは分かってもらえるだろう。ちなみに、養子ではない。養子でもないのに夫が妻の苗字を選択するというのは、なかなかレアではないか。そこで、男が苗字を変えるというのは実際のところどんな心理なのか、忘れないうちに書いておこうと思う。

妻の苗字を選ぶことに決めたのは、入籍す

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幸せにしていいよ

幸せにしていいよ

僕の二度目の結婚は、彼女にとっては初めてだった。
少々珍しいタイプの結婚だったので、周囲から好奇の目で見られることは想像していたけれど、それとあわせて、彼女は具体的に片付けなければならない問題を抱えていた。

まず「珍しいタイプの結婚」というのは、僕の別れた元妻と彼女が友人だったことだ。それも学生時代からの親友で、そのことを知っている知人も多い。僕は彼女から見れば「友人のお古」でありそれは事実だが

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短編小説「締め日」

短編小説「締め日」

経理課長が亡くなった。
難しい病気だったそうだ。年明けに入院して、3月に一時危篤となったものの持ち直し、「もしかしたら奇跡が起こるかも」と期待させながら、6月の末にあっけなく心臓は停止した。

葬儀には、会社から総務部長と経理課の僕が行くことになった。部長は課長の上司だからいいとして、課長の部下とはいえ中途入社したばかりの僕が選ばれたのは、面倒な役を押し付けられたにすぎない。梅雨が明けきらぬこの蒸

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いい人

いい人

だいたいにおいて、男というものは自分の母親を正しく理解していない。
僕もそうだった。
結婚する前の女房に「お母さんはどういう人?」と聞かれ、返す言葉がすぐに浮かばなかった。とりあえず、「ん-、まあ、いい人かな」と軽い気持ちで発したその言葉は、その後何年も僕を苦しめることになる。

母がどういう人なのか、理解できたのは随分大人になってからだ。
最初に「あれっ?」という違和感を持ったのは父の葬式だった

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友だちのために泣いたことはあるかい?

友だちのために泣いたことはあるかい?

一回り以上年も離れているし、僕と彼は世間的に見れば「上司と部下」だ。
小さな広告会社ではあるが、いちおう僕はリーダーという役割を拝命しているし、実務的に彼にWeb広告のイロハを教えたのも僕だ。
僕が彼を一人前にしたという自負はある。

彼はひとことで言うと「困った奴」だ。
入社一日目から驚かされたのが、席に着いている間じゅうの貧乏揺すり。オーバーでなく、一日じゅう体が揺れている。「よく疲れないね」

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記念撮影

記念撮影

土曜日は、義母の着替えを持って病院に行く。
一人で行く。
なぜ血のつながらない僕が認知症の婆さんのために病院に行くのかというと、実の娘である女房が行きたがらないからだ。
女房は、子供の頃に義母(本人からみれば母)から虐待を受けていた。
具体例を話すと同じ境遇にある人は気分が悪くなると思うので割愛するが、母親に対する感情は恨みしかないと女房本人が言う。それでも、認知症の老人を放置しておくのはご近所に

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姉弟喧嘩の顛末

姉弟喧嘩の顛末

姉弟の仲が悪いと言っても、裁判まで起こして法廷で罵り合うというのはなかなかないと思う。

数年前、姉の代理人と名乗る弁護士から連絡があった。父の死後、母が死んで遺産を相続するにあたり、僕には相続する権利がないと言う。なぜなら僕は母親に心配をかけ通しで、まったく世話もせず、母親に散々嫌われていたからだと。何だそれ?母親とは仲良くしていたぞ。それと、この国の法律では故人に嫌われていたら相続の権利を失う

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そんな夜のこと

そんな夜のこと

家を出てワンルームマンションに住み始めた頃、ときどき遊びにくる女性がいた。いつもいきなり予告なしで部屋に来るのに、あるとき電話で「今、駅にいるから自転車で迎えに来て」と言う。時間は夜の12時近い。そろそろ寝ようかと思っていたところだった。言っておくが、まだ携帯電話などない時代だ。おそらく駅前の公衆電話からだろう。

駅からマンションまでは近かったので、迎えに行ったり送ったりしたことはあったが、いつ

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王様がきつい王様ゲーム

王様がきつい王様ゲーム

ある落語家に聞いた話。有名な落語家がイベントに呼ばれていたが、個人的な都合で当日キャンセルしたのだそうだ。しかし後日、興行主に出演料の請求書を送ってきたという。

普通の感覚なら「仕事もしていないのに、なんと非常識な」だろう。その話をしてくれた落語家も「師匠の破天荒エピソード」として披露したのだから、一般人が呆れることを想定していたはずだ。しかし、少しでも興業というものに関わったことがある身として

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最初の授業は「ゆで卵」だった

最初の授業は「ゆで卵」だった

料理教室に通ったことがある。別に料理が特別好きなわけじゃないし、女性にもてたかったわけでもない。女房との賭けに負けたのだ。

なぜそういう話になったのか、記憶は曖昧である。何年か前のドラマの主演俳優は吉田栄作だったか唐沢寿明だったかという実にどうでもいいことで意見が分かれ、互いに主張を曲げなかったので、「調べて違っていたほうは相手の言うことをきく」となった(ような気がする)。それで、僕が負けて女房

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休日出勤

休日出勤

カイシャというものは、基本的には他人の金で大きなことをするための仕組みだと思う。その他人の金を集めるシステムが市場というやつで、もちろん選ばれたカイシャしかそのゲームに参加することは叶わない。しかし、選ばれてしまうと金を出した奴らのために走り続けなければいけなくなる。止まることは許されない。

そういう環境の中にいると、弱い者は狂い始める。別に奇声を発するとか裸で走り出すとかいうのではないが、まと

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「いつかね」と彼女は笑った

「いつかね」と彼女は笑った

二十代の頃に勤めた会社に彼女がいた。僕は中途採用で、彼女は僕より先に入社していた。いわゆるコンサルタント会社で、一人前に顧問先を指導できるのは「コンサルタント」、僕はその下働きの「アナリスト」。彼女はスタッフ全員のアシスタント的な事務仕事をしていたのだが、僕が仕事を頼むことも多かった。まだPCなど影も形もない時代、僕の手書きの原稿を、事務所に一台だけあったワープロで彼女がキレイな企画書にしてくれた

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常識とかバランス感覚とか

常識とかバランス感覚とか

noteでは執筆者をクリエイターと呼んでいる。何もクリエイトしていない僕ごときがこれを利用するのは気恥ずかしいが、これでもかつては芸大を目指していた。けれど挫折した。

という表現は正しくないか。受験すらしなかったのだから、挫折というより勝手に諦めたと言ったほうが正しい。適当に勉強したらそこそこの大学に受かったので、そっちでいいかとなったのだ。

普通の大学を普通に卒業して、普通に就職した会社で新

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夢のような日々の一日目

夢のような日々の一日目

彼女と同じ部屋で住み始めた最初の日は、仕事が終わると一目散に退社した。一本でも早い電車に乗るために、会社から駅までは走った。駅の階段は駆け上がった。電車の中で息を整え、降りた駅から自宅までまた走った。おかげで、まだ日が沈む前にワンルームマンションのドアの前に立っていた。汗びっしょりになっていた。

彼女の顔を一秒でも早く見たかった。というのはもちろんだが、僕を走らせたのは愛情というよりも、「帰った

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