kengaku

節子、それ愛とちゃう。ストックホルムシンドロームや。

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最近の記事

雲の上の話

その人の記憶力には恐れ入る。 幼稚園の頃の友達との会話を逐一覚えているし、中学校の理科の授業で先生が炎色反応の説明をしていた様子もついさっきのことのように話す。 あまりの記憶の鮮明さは、「覚えている」のでなく「忘れられない」と言ったほうがよく、嫌な記憶に苦しめられることもある。そう考えれば一種の記憶障害というか気の毒な個性なのかもしれない。 その人は、昨日のことでもすっかり忘れていることがある僕がうらやましいと言う。それは半分嫌味で半分正直な気持ちだろうと思う。 記憶力の良

    • 短編小説「アンディ・ウォーホル展」

      ※本編は、実際に開催されていた展覧会を題材にした作り話です。 明日あいてる? ウォーホル見に行かへん? 京セラ美術館 気が向いたら簡単に京都に出てこられるのが、僕たち関西人の特権である。彼女とはここのところ忙しくて会えていなかったが、昨夜LINEしてひさびさの美術館デートの約束を取り付けた。 彼女とは大阪の高校の美術部で出会い、僕が部長、彼女が副部長だった三年生から付き合い始めた。今年25歳だからもう足かけ8年、そろそろ将来のことを考えてもいい頃だ。ウォーホルを見た後

      • 苗字と革靴

        妻の苗字で暮らした時期がある。結婚して、僕が苗字を変えたわけだ。 「暮らした」と過去形にしているので、もうその婚姻関係が終わっていることは分かってもらえるだろう。ちなみに、養子ではない。養子でもないのに夫が妻の苗字を選択するというのは、なかなかレアではないか。そこで、男が苗字を変えるというのは実際のところどんな心理なのか、忘れないうちに書いておこうと思う。 妻の苗字を選ぶことに決めたのは、入籍する前日だった。婚姻届を前に、妻になる女性にこんなことを言われたのだ。 「男はいい

        • 幸せにしていいよ

          僕の二度目の結婚は、彼女にとっては初めてだった。 少々珍しいタイプの結婚だったので、周囲から好奇の目で見られることは想像していたけれど、それとあわせて、彼女は具体的に片付けなければならない問題を抱えていた。 まず「珍しいタイプの結婚」というのは、僕の別れた元妻と彼女が友人だったことだ。それも学生時代からの親友で、そのことを知っている知人も多い。僕は彼女から見れば「友人のお古」でありそれは事実だが、世間から僕は「二股をかけていた」疑惑をかけられ、彼女もまた「親友の夫を寝取った

        雲の上の話

          短編小説「締め日」

          経理課長が亡くなった。 難しい病気だったそうだ。年明けに入院して、3月に一時危篤となったものの持ち直し、「もしかしたら奇跡が起こるかも」と期待させながら、6月の末にあっけなく心臓は停止した。 葬儀には、会社から総務部長と経理課の僕が行くことになった。部長は課長の上司だからいいとして、課長の部下とはいえ中途入社したばかりの僕が選ばれたのは、面倒な役を押し付けられたにすぎない。梅雨が明けきらぬこの蒸し暑い季節に、喪服を着て葬儀に参列したがる者などいないからだ。 葬儀は課長の自

          短編小説「締め日」

          いい人

          だいたいにおいて、男というものは自分の母親を正しく理解していない。 僕もそうだった。 結婚する前の女房に「お母さんはどういう人?」と聞かれ、返す言葉がすぐに浮かばなかった。とりあえず、「ん-、まあ、いい人かな」と軽い気持ちで発したその言葉は、その後何年も僕を苦しめることになる。 母がどういう人なのか、理解できたのは随分大人になってからだ。 最初に「あれっ?」という違和感を持ったのは父の葬式だった。 母は、葬式の段取りや作法を何も知らないのである。父が死んで動転して何も考えら

          いい人

          友だちのために泣いたことはあるかい?

          一回り以上年も離れているし、僕と彼は世間的に見れば「上司と部下」だ。 小さな広告会社ではあるが、いちおう僕はリーダーという役割を拝命しているし、実務的に彼にWeb広告のイロハを教えたのも僕だ。 僕が彼を一人前にしたという自負はある。 彼はひとことで言うと「困った奴」だ。 入社一日目から驚かされたのが、席に着いている間じゅうの貧乏揺すり。オーバーでなく、一日じゅう体が揺れている。「よく疲れないね」と呆れると「これでも卓球でインターハイに出たんすよ」と、嫌味が通じない。 「す

          友だちのために泣いたことはあるかい?

          記念撮影

          土曜日は、義母の着替えを持って病院に行く。 一人で行く。 なぜ血のつながらない僕が認知症の婆さんのために病院に行くのかというと、実の娘である女房が行きたがらないからだ。 女房は、子供の頃に義母(本人からみれば母)から虐待を受けていた。 具体例を話すと同じ境遇にある人は気分が悪くなると思うので割愛するが、母親に対する感情は恨みしかないと女房本人が言う。それでも、認知症の老人を放置しておくのはご近所に迷惑なので病院に入れている。 その女房が、今日は一緒に病院に行くという。 僕に

          記念撮影

          姉弟喧嘩の顛末

          姉弟の仲が悪いと言っても、裁判まで起こして法廷で罵り合うというのはなかなかないと思う。 数年前、姉の代理人と名乗る弁護士から連絡があった。父の死後、母が死んで遺産を相続するにあたり、僕には相続する権利がないと言う。なぜなら僕は母親に心配をかけ通しで、まったく世話もせず、母親に散々嫌われていたからだと。何だそれ?母親とは仲良くしていたぞ。それと、この国の法律では故人に嫌われていたら相続の権利を失うのだろうか。 言いたいことは山ほどあったが、弁護士が出てきたら姉と直接話はでき

          姉弟喧嘩の顛末

          そんな夜のこと

          家を出てワンルームマンションに住み始めた頃、ときどき遊びにくる女性がいた。いつもいきなり予告なしで部屋に来るのに、あるとき電話で「今、駅にいるから自転車で迎えに来て」と言う。時間は夜の12時近い。そろそろ寝ようかと思っていたところだった。言っておくが、まだ携帯電話などない時代だ。おそらく駅前の公衆電話からだろう。 駅からマンションまでは近かったので、迎えに行ったり送ったりしたことはあったが、いつも歩きだった。なので、なぜ自転車がいるのかと思ったが、まあいいかと言われた通りに

          そんな夜のこと

          王様がきつい王様ゲーム

          ある落語家に聞いた話。有名な落語家がイベントに呼ばれていたが、個人的な都合で当日キャンセルしたのだそうだ。しかし後日、興行主に出演料の請求書を送ってきたという。 普通の感覚なら「仕事もしていないのに、なんと非常識な」だろう。その話をしてくれた落語家も「師匠の破天荒エピソード」として披露したのだから、一般人が呆れることを想定していたはずだ。しかし、少しでも興業というものに関わったことがある身としては、分からなくはない話である。 芸能人を呼ぶというのは、本来それなりに功成り名

          王様がきつい王様ゲーム

          最初の授業は「ゆで卵」だった

          料理教室に通ったことがある。別に料理が特別好きなわけじゃないし、女性にもてたかったわけでもない。女房との賭けに負けたのだ。 なぜそういう話になったのか、記憶は曖昧である。何年か前のドラマの主演俳優は吉田栄作だったか唐沢寿明だったかという実にどうでもいいことで意見が分かれ、互いに主張を曲げなかったので、「調べて違っていたほうは相手の言うことをきく」となった(ような気がする)。それで、僕が負けて女房のオーダーは「料理教室の半年コースに行け」だった。恨むぞ栄作。 今はオリックス

          最初の授業は「ゆで卵」だった

          休日出勤

          カイシャというものは、基本的には他人の金で大きなことをするための仕組みだと思う。その他人の金を集めるシステムが市場というやつで、もちろん選ばれたカイシャしかそのゲームに参加することは叶わない。しかし、選ばれてしまうと金を出した奴らのために走り続けなければいけなくなる。止まることは許されない。 そういう環境の中にいると、弱い者は狂い始める。別に奇声を発するとか裸で走り出すとかいうのではないが、まともな判断ができなくなる。誰のためになるのか分からない仕事を、ただ数字を合わせるた

          休日出勤

          「いつかね」と彼女は笑った

          二十代の頃に勤めた会社に彼女がいた。僕は中途採用で、彼女は僕より先に入社していた。いわゆるコンサルタント会社で、一人前に顧問先を指導できるのは「コンサルタント」、僕はその下働きの「アナリスト」。彼女はスタッフ全員のアシスタント的な事務仕事をしていたのだが、僕が仕事を頼むことも多かった。まだPCなど影も形もない時代、僕の手書きの原稿を、事務所に一台だけあったワープロで彼女がキレイな企画書にしてくれた。 「彼女、メチャクチャ歌がうまいんだぞ」と先輩社員から聞いていた。僕が入社す

          「いつかね」と彼女は笑った

          常識とかバランス感覚とか

          noteでは執筆者をクリエイターと呼んでいる。何もクリエイトしていない僕ごときがこれを利用するのは気恥ずかしいが、これでもかつては芸大を目指していた。けれど挫折した。 という表現は正しくないか。受験すらしなかったのだから、挫折というより勝手に諦めたと言ったほうが正しい。適当に勉強したらそこそこの大学に受かったので、そっちでいいかとなったのだ。 普通の大学を普通に卒業して、普通に就職した会社で新入社員研修を受けた。プログラムのひとつに、同期生とペアになって互いを紹介しあうと

          常識とかバランス感覚とか

          夢のような日々の一日目

          彼女と同じ部屋で住み始めた最初の日は、仕事が終わると一目散に退社した。一本でも早い電車に乗るために、会社から駅までは走った。駅の階段は駆け上がった。電車の中で息を整え、降りた駅から自宅までまた走った。おかげで、まだ日が沈む前にワンルームマンションのドアの前に立っていた。汗びっしょりになっていた。 彼女の顔を一秒でも早く見たかった。というのはもちろんだが、僕を走らせたのは愛情というよりも、「帰ったら彼女がいなくなっているのではないか」という不安だった。 女性とろくに付き合っ

          夢のような日々の一日目