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「いつかね」と彼女は笑った

二十代の頃に勤めた会社に彼女がいた。僕は中途採用で、彼女は僕より先に入社していた。いわゆるコンサルタント会社で、一人前に顧問先を指導できるのは「コンサルタント」、僕はその下働きの「アナリスト」。彼女はスタッフ全員のアシスタント的な事務仕事をしていたのだが、僕が仕事を頼むことも多かった。まだPCなど影も形もない時代、僕の手書きの原稿を、事務所に一台だけあったワープロで彼女がキレイな企画書にしてくれた。

「彼女、メチャクチャ歌がうまいんだぞ」と先輩社員から聞いていた。僕が入社する少し前に、社員数人でカラオケに行ったことがあるらしい。たしかに彼女は渋いハスキーボイスだし、休憩時間にタバコを吸っている姿は女優のような不思議な雰囲気がある。彼女がマイクを持って歌う歌は何だろうと想像した。ロックか、ブルースか、古い歌謡曲なんかも似合いそうだ。

あるとき彼女に「いつか歌を聞かせてよ」と言ったことがある。彼女は一瞬眉をひそめて「何で知ってるのよ」といった表情を見せたものの、すぐに渋い声で「いつかね」と笑った。

けれどまもなく彼女は会社を去った。同僚は「歌手になるんじゃない?」と言っていたが、おそらく本気で言ったのではなかっただろう。その後、彼女の名前が職場で話題になることもなく、僕も忙しい毎日の中で彼女のことをすぐに忘れてしまった。

それからおよそ十数年後、ようやくネットが一般化した頃だ。どこかのサイトで偶然彼女の名前を見つけた。最初は同姓同名の別人かと思ったが、肩書が「ジャズ歌手」だったのでひょっとしたらと調べたら彼女だった。高知のお寺に生まれた歌の上手いOLは、本当にプロの歌手になっていた。ジャズ好きで知られる著名な評論家が彼女を推していて、彼のホームページでしばしば彼女の名前を見つけた。

それから何ヵ月かに一度、彼女の名前を検索して近況を知るようになった。彼女自身はブログなどやっていなかったので、情報源はほとんど彼女の知人の音楽家や、ライブに足を運んだお客のブログだった。そこで知ったことは、「一年365日のうち300日はライブが入っている」「抜群のトーク力でライブは笑いの渦」「Jazz Life誌99年度ディスク・グランプリ・ヴォーカル部門でベスト4に選ばれた」等々。順風満帆のようだった。

しかし、プロの歌手といっても一般に名を知られるほどではない。何ヵ月か開けて検索しても新しい情報がないこともあった。彼女にもWikipediaがあって、あるときどうなっているかと覗いて驚いた。少し前に彼女は亡くなっていた。子宮頸がんだったという。どうして一度も彼女の歌を聴きに行かなかったのだろう。僕の人生はこういう後悔の繰り返しだ。

今、一度も生で聞けなかった彼女の歌声をときどきYouTubeに聞きに行く。彼女はキラキラのステージ衣装をまとって喝采を浴びているが、僕にとっての彼女は、会社のベランダでうつむきがちにタバコを吸っていたソバージュヘアの女の子だ。いつまでも。

(でもさ、Wikipedia見て分かったけど、君は会社にいたとき23歳だったんだな。絶対年上だと思ってたよ)


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