見出し画像

いい人

だいたいにおいて、男というものは自分の母親を正しく理解していない。
僕もそうだった。
結婚する前の女房に「お母さんはどういう人?」と聞かれ、返す言葉がすぐに浮かばなかった。とりあえず、「ん-、まあ、いい人かな」と軽い気持ちで発したその言葉は、その後何年も僕を苦しめることになる。

母がどういう人なのか、理解できたのは随分大人になってからだ。
最初に「あれっ?」という違和感を持ったのは父の葬式だった。
母は、葬式の段取りや作法を何も知らないのである。父が死んで動転して何も考えられないというわけでもない。本人はケロッとしていて「難しいことはアンタがやって。頼んだで!」と僕に丸投げ。仕方なく葬儀会社の手配や関係者への連絡は僕がしたが、おかしいじゃないか。母は親類や近所の家の葬式に何十回と出ているのに、なぜそんな常識的なことを知らないのか。
本人に聞くと、そういう場では周囲の人に合わせて「なんとなく」やり過ごしてきたと言う。だから何も身についていないのか。
母はもしかしたら世間の大人とちょっと違うのではないか、僕はこのとき初めて母を少し疑った。

もう少し父の葬式の話を続けさせてもらう。
母は、何もしないくせに生まれて初めて葬儀の主催者になり、明らかに舞い上がっていた。みんなが自分に寄って来てお悔みの言葉を言ってくれるので、自分が主役のような気分になっていったのだろう。
しかし、結婚式ではない。葬式だ。主役は亡き父である。
そんなことはお構いないしに、自分が偉くなったと錯覚している母は、葬儀場で自分の姉や弟にどうでもいい作業の指示をし、通夜振る舞いでは親類の女性に説教していた。「あなたね、それはお姑さんに感謝しないとダメよ」などとやたら「上から」口調である。言われた女性はおとなしく聞いていたが、「なんでアタシが説教されにゃならんのよ」と顔に書いてあった。

告別式には母の学生時代の友達が参列してくれた。
数十年ぶりの再会が嬉しいのは分かる。しかし、「キャー!何年ぶり?旦那さんは?お子さんは元気?」と、はしゃぐはしゃぐマイマザー。
ここは同窓会ではない。葬式だ。旧友は明らかに引いていた。
その場にふさわしい行動がとれないのは発達障害の特徴だが、母もそうだったのかもしれない。

周囲の声をまとめると、母の人物像はこんな感じである。

・常識を知らない
・場の空気を読めない
・無邪気に人を傷つける
・ちゃっかりしている、というか厚かましい
・ミーハーで流行に左右されやすい
・後先考えない、無責任
・ええかっこしい

これは、まるで僕のことではないか。

大人になって、母の評判を知って、僕の性格はかなりの部分が母譲りであることが分かった。エンジニアだった父の常識的で理論家の資質は姉に受け継がれ、僕が父から受け取ったのはゴツゴツした顔だけだったようだ。

世間的には、母は「いい人」どころか「困った人」だったのかもしれない。
女房は、最初に母に会ったとき、すぐにそのことに気が付いたと言う。
嫁の目が鋭いのか、息子の目が曇っているのか。
相手がだれであれ妥協も遠慮もしない女房は、当然のように母と何度もぶつかった。そのせいで僕は、母が亡くなる時期に実家から距離を置くことになり、寂しい思いをさせてしまった。けれど、まあ、それは別の話。

母は、僕が子供の頃から「困った人」だったのだろうか。
そうであった可能性は高い。僕が気付かなかっただけの話だ。
もうこの世にいないのに、女房からはいまだに母に対する恨みごとを聞かされる。そして、ことあるごとに「アンタのお母さん、ほんと『いい人』やったね」と嫌味を言われるのである。

たしかに。でも僕が「困った子供」であったとき、無条件で味方をしてくれたのは母だ。心配性で何にでもブレーキをかけたがる父とは反対に、深く考えず「まあ、ええんちゃう?」という母のおかげで、若い頃にやりたいことができた。父のように堅実な人生を送ることはできなかったが、それを後悔したことは一度もない。もっとも、後悔も反省もしない迷惑なポジティブさは、しっかり母からの遺伝である。

今、「お母さんはどんな人でしたか?」と聞かれたら、やっぱり「いい人」と答えるかもしれない。などと言ったら女房にぶん殴られそうなので、ここだけにしておく。