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連載(101):人類の夜明|まどろみの中で「嘆くより無言の行動を示せ」
嘆くより無言の行動を示せ環境が悪い!、
相手が悪い!、
と嘆いてもらちがあかない。
そのときは、自分の心を変えることだ。
変えれば必ず相手も変わってくれ、環境も良い転換を見せるだろう。
何もせずただ愚痴ばかりこぼしていては、心はおろか、体まで傷めてしまうだろう。
利口な者は人を当てにせず、まず自分の心を変えることから始めるものだ。
自分の心を変えれば環境が変わるのは、心が(波動が)環
連載(100):人類の夜明|まどろみの中で「寂しい人のために」
寂しい人のために世の中には、寂しい思いをしている人は意外に多いものである。
たとえば、
○ 幼い時に親と別れ別れになった。
○ 幼い時に親を亡くした。
○ 子供を亡くした。
○ 恋人を亡くした。
こんな時、人は悲嘆にくれるものである。
人生とは寂しいものだ、侘しいものだと・・・、
しかし負けてはならない、忘れてはならない、思い出してほしい、その環境を選んだのは自分自身であることを・
連載(99):人類の夜明|まどろみの中で「国民はこれ以上の繁栄を望んでいるのか?」
国民はこれ以上の繁栄を望んでいるのか?『あなたはこれ以上の繁栄を望んでいますか?』
との問いを、一度国民にしてほしいものである。
おそらく『もう必要ない!』との答えが返ってくるだろう。
もしまだ望む人がいるとしたら、物質が幸せをもたらすと錯覚している人たちだけであろう。
多くの人は、物質に囲まれて生活することに辟易しているはずである。
といっても、我々はもう、どうすることもできない。
連載(98):人類の夜明|まどろみの中で「頭上の刃物」
頭上の刃物資本主義経済は成長なしには成り立たない。
したがって、国家挙げての景気振興策が取られる。
経済が成長すればそれに見合うエネルギーも必要になってくるから、電気はますます入用になる。
つまり、原子力発電所の必要性が増すのである。
我々は今日物質文明に酔いしれているが、その姿は、鋭い刃物の下でワインに酔いしれダンスを踊っているようなものである。
原発推進派の人たちは、刃物そのものは危
連載(97):人類の夜明|まどろみの中で「鉄は熱いうちに打て」
鉄は熱いうちに打て鉄は熱いうちに打て!、それも打てば打つほど良い!。
まだ何色にも染まっていない時期に徹底してやることが大切である。
特に、徳育はこの時期には持ってこいである。
それも厳しければ厳しいほど良い。
今日学校でちょっと厳しい躾をすると、父兄はすぐに先生をつるしあげる。
これでは本当の教育はできないだろう。
真に子供が愛しいと思うなら、鉄と同じように厳しく打つことを認めるべき
連載(96):人類の夜明|まどろみの中で「人の不幸を漫然と見過ごすな!」
人の不幸を漫然と見過ごすな!我々の周りには多くの不幸がある。
その不幸を漫然と見過ごしていては人に進歩はない。
たとえば、お葬式で、病院で、人の不幸を見る。
あるいは家庭崩壊で涙する人を見る。
そのとき我々は、その不幸の陰に潜んでいるもの、その不幸が訴えているものに目を向けなければならないのである。
なぜこの人は苦しんでいるのだろうか?、
人生とは何だろうか?、
老いとは何だろうか?、
連載(95):人類の夜明|まどろみの中で「どちらが賢い分け方か?」
どちらが賢い分け方か?ここに五人の人がおり、五個の食べ物があったとしよう。
この五個の食べ物を一個ずつ分け合うのと、奪い合うのと、どちらが賢い分け方だろうか?。
万物の霊長である人間ならば、当然前者の方と思うだろう。
では今日人類は、その賢いやり方をしているだろうか?。
今日の資本主義経済は、弱肉強食まがいの後者の方ではないだろうか?。
つまり我々は、万物の霊長にふさわしくない愚かな配分
連載(94):人類の夜明|まどろみの中で「生きるために消費を作る愚かさ」
生きるために消費を作る愚かさ私たちは生きるために消費するのであって、生きるために消費を作っているのではない。
今日の資本主義経済は、生きるために消費を作っているのである。
ここに一人の大工がいたとしよう。
その大工は、一年の生活費を家一軒建てることで得ていた。
家の耐用年数が20年なので、この町にある20軒の家を毎年1軒づつ建て替えていったら、大工の仕事は一生なくならない。
したがって生
連載(93):人類の夜明|まどろみの中で「自然許諾」
自然許諾自然はすべての生き物に、自然許諾を認めている。
生きるために本当に必要ならば、相手の命を奪っても構わない、そんな許しまで与えているのである。
したがって人間も、本当に生きるに必要ならば、人の物であっても使うことは許されるのである。
ただし人間は、万物の霊長として相手を思いやり、相手を脅かさない節度が求められている。
したがって、使うにしてもそこにおのずと限界があるだろう。
しかし
連載(92):人類の夜明|まどろみの中で「安心して生きるには」
安心して生きるにはあなたが不安なのは、良心に逆らって生きているからである。
良心は知っている。
『法を犯す者は法にて罰せられる』と・・・。
法とは、宇宙の秩序を守っている番人である。
その番人は、毀誉褒貶に惑わされないパーフェクトな法の執行人である。
愛と秩序と正義を貫く者は、法の心に従順であるがゆえにその者のところには安らぎと平安が訪れる。
だが法に逆らう者は、常に苦しみと悲しみを背
連載(91):人類の夜明|まどろみの中で「何事も飯の種にしていては真心はこもらない。」
何事も飯の種にしていては真心はこもらない。教育にしても、政治にしても、宗教にしても、科学や芸術にしても、それを飯の種にしている限り本物にはなり得ない。
どんな人の心にも、必ず正義の虫は宿っている。
しかし、悪の虫も同居しているのである。
その悪の虫は、華やかなもの、金ピカなものに弱く、権力には更に弱い。
したがって正義を貫こうと思っても、それを貫くことによって生活が破綻するとすれば、悪の虫
連載(90):人類の夜明|まどろみの中で「一生懸命生きる」
一生懸命生きる『もし、今日人類が滅亡すると100%分かっていても、私は息子のために弁当を作ります。』
この母の言葉は実に感動的である。
『あと数年もすれば世界は滅亡するのだから、何も一生懸命勉強したり働いたりすることはない。どうせ死ぬのだから・・・。』こんな放言を吐く若者が最近増えているという。
このような若者が増えている背景には、最近ブームになっているノストラダムスの予言書のせいだろう。
連載(89):人類の夜明|まどろみの中で「イライラには二つの種類がある」
イライラには二つの種類がある
一つは、モノや金や地位などを欲するにもかかわらず、思うように手に入れられないときに起きる欲求不満のイライラである。
もう一つは、何の努力もせず、ただのんべんだらりと生きるがゆえに生じる魂の嘆きのイライラである。
人は何かに打ち込んでいるとき、何かに挑戦しているとき、何ともいえぬ輝きを見せるものである。
何によらず、ひたむきに打ち込んでいる人を見ると感動を覚えるの
連載(88):人類の夜明|まどろみの中で「貨幣はあらゆる責任を断ち切ってしまう。」
貨幣はあらゆる責任を断ち切ってしまう。
貨幣本位制の世界では、どんな責任も貨幣によって清算することができる。
どんなに無謀な消費をしても、どんなに無責任な生き方をしても、(法律を犯さなければ)お金さえあれば責任回避が可能なのである。
だからこの世界では、『お金さえあれば』が人をお金の亡者にしてしまうのである。
労働本位制の世界ではどうだろう?。
その世界では、一人一人の責任は輪廻するごとく