経済的な自立 (=「生活に必要なお金を自分で稼ぐこと」だとしたら) をしていても、お金に依存していたら、そんなにカッコよくない氣がする。 憧れるのは、食べ物を育てたり採ったり、着るものや生活用品、住居などをつくりだす力。 それを叶え助け合う仲間。 今はまだ程遠いけども。
「資本主義の次に来る世界」を読んで考えた 資本主義の見直しで 個人が最も簡単にできることは 欲を捨て、「足るを知る」ということ 私の趣味の読書でいえば 新たに本を買わずに 既にある本を読み込むことがそれに通ずるか 精読のススメである 決して積ん読が多い言い訳ではない
古典的教養とは何か? それはニートになるための訓練である。 近代資本主義によって家畜的労働に慣らされてしまうと、ヒマな時間を楽しく過ごせなくなる。 だからこそ、前近代以上に古典的教養を磨くことが大切になってくる。
自分が究極為したいことは資本主義・新自由主義・進歩主義からの脱却だと思う ミクロな成功が過剰になったがために今の社会は大きくゆがんでいると思う 社会の根源に大きな誤りがある以上その上に立つものはどう頑張っても歪んでいる
脱資本主義の実践というテーマの本をワクワク読み始めたら、CVSの余り物で食えとか、ヒッチハイクしろとか、無料で泊めてもらえとかいう話ばかりで、これじゃあ脱資本主義でもなんでもない、単なる資本主義のフリーライダーです。資本主義が倒れたら生きていけないでしょ、むしろ強化してる。
谷崎潤一郎の「春琴抄」で、主人公の春琴は人工的な音楽よりも鶯の鳴き声が楽しみなわけですが、この一節を持って自然派の素朴で質素な暮らしというなかれ、鳴き声の良い鶯を作るために必死の品種改良が繰り返され、これを高額の値段で競り落として、それがステータスシンボルになってるわけです。
97キロ。微妙に痩せてる。ここ数日記録が伸びないままだったけど、腹も満杯だし何だろ?運動の成果だろうか。野菜がないの買ってこないといけない。どうでもいいことかもしれないけど、的場の本にプラスαな本を探してネグリの本を眺めてみたけど前提知識必須。意訳が多すぎて何のことだか意味不明。