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ゴミ出しすると、代わりに果物を買ってくれるおばあちゃん

売上12000円/1h、声をかけた人数7人、購入者5名、2023/8/09🌃


はじめに


みなさんこんにちは!フルーツボーイ中村です。

私は行商を通して性善説を研究している者です。
そのため、幅広いサンプルを集めるために性別や年齢の壁を越えて
出来る限りすべての世代に会うことを心がけています。

これまでにあってきた人数は35万人以上。結構ガチでやってます↓


今回は高齢者。
特に80歳以上の高齢者が住む団地のお客様のことについてお話しします。

どんなに年齢が離れていても

やはり、あなたと私は同じ人間なんだろうな

と確認できた話になります。

それでは始めます!

あまり果物が好きではない、一人暮らしのおばあちゃん


これから話すおばあちゃんですが、実はもう5年くらいの付き合いになるのですが、あまり果物が好きではありません。笑

でも毎週、何かしら買ってくれます。

食べるものと言えば、包丁を使わないみかんやいちごに限られ、しかもそこまで乗り気じゃない(果物は身体にいいから仕方なく、、)

皮ごと食べられるブドウを何度か買いましたが、どうしても皮が口に残ってしまい、ブドウも断念、、最近、やっとフルーツトマトデビューし、世の中にこんなおいしいトマトがあるのかと、驚いていました笑

さて、そんなおばあちゃん。

年齢は90歳
1人暮らし(都営団地)
足が悪く買い物はタクシー(バスが怖い)
里見浩太郎さんの大ファン(2-3回/年のディナーショーに行くのが楽しみ)

という方で
特別な事がない限りは一日中家にいて、テレビを見ているそうです。体がなまってはいけないということで、たまに団地の廊下30mくらいを2往復します(本人はお散歩と言っている)

購入後に、いつもお願い事をするおばあちゃん


何かしらの果物を買ってくれるのと同時に、何かしらのお願い事をしてくるのがこのおばあちゃん。

これまでにお願いされたことは以下のこと

ゴミ出し(ほぼ毎回)
段ボールを紐で束ねて、そのまま回収
体温計の電池交換
押入れの整理
お惣菜をくれたお友達にお返しのお菓子を代わりに届ける
ブラックキャップ(ゴキブリホイホイ)のお遣い
乾電池のお遣い




果物の会計が終わった後に、

「あなたさぁ~」

と切り出して

「今日は〇〇をお願いしてもいい?」

と始まるのがお約束。
少し俯きながら上目遣いで頼んできます。

その姿が微笑ましく、私にとっては負担にならないことばかりなので、

「全然いいですよー!」

と快く受け入れます。

おそらく世の中にごまんといるであろう一人暮らしの高齢者


ある日から

「〇〇さん、今日はゴミ出しとかありますかー??」

と私の方から「お手伝い」を聞くようにしました。

すると

「やってくれるの?」

と少し微笑みながら

「悪いわね~じゃあ段ボール持っていってくれるー?」

という関係性に変わっていきました。片手にはべっこう飴を握りしめ、手伝ってくれたお返しを用意しているのが、このおばあちゃんの可愛いところ。

さて

おそらく私に払っているのは果物代ではなく、お手伝い代なんだろうなと最近思ってきました。なぜなら、こういったお願いは、おばあちゃん自身も本当はしたいわけではなく、日々の生活が本当に大変だから(自分じゃどうしようもできないことが多いから)、頼まざるを得ないということが分かってきました。

おばあちゃんが初めに必ず聞いてくる一言。

それは

「今日は風強い?」

ドアを開けると、一発目は必ずこれなんです。
初めの頃は枕詞的に、ただの会話の始まりなのかと思ったのですが、

実は本当に「風の強さ」を気にしているのが分かってきました。

おばあちゃんは、何度も道で転んでけがをしたことがあり、風が強いと、また転んでしまいそうで本当に怖いんだそう。買い物には行きたいけど、転んだ時に人に迷惑をかけるのが嫌だから、安心できる日にしか外に出ない、と決めているのです。

また、もう一つ必ず呟くこと

「もう私も先が長くないからさぁ、、」


「またまた~、そうやって冗談をー!」




こんなやり取りを振り返ってみると


ふと、思うことがあります。

このような高齢者はごまんといるのだろうなと。


「孤独死」で調べてみると、日本では、ここ数年で3万人に増えているらしいのです(10年前に比べ3倍増)

おばあちゃんと会話しながら、心が締め付けられる思いになりました。

私のお客様には「娘や息子が定期的に様子を見に来てくれから助かる」という高齢者の方もたくさんいますが、身寄りがなく、一人暮らしの方も何人もいます(都営団地はむしろこっちの方が多い気がします)

朝起きて、テレビやラジオを流しながら、なんとなく人の声を聞いてはいるけど、実際は誰とも会話していない。朝起きてから寝るまで誰とも出会うことのない1日。少し外に出ると体力を削られ、家に帰って横になる。

これを繰り返す毎日を過ごしています。

今日の学び

今日の学びはずばり

「存在を受けとってもらっている実感こそ喜び」

です。

1日を通してほとんど誰とも会わないおばあちゃん。

そんな中つぶやく

「先が長くないからさぁ」

は冗談じゃないかも、、、そして同時に、

ネガティブになるのも仕方ないよね、、、

と思ってしまいます。

ここからは個人的な意見ですが

私は生きてる実感をする時って

人とのつながりを実感する時

だと思っています。それをこのおばあちゃんを通して思い出しました。

そこには受信者の存在が必要。こちらが発信したことを受け取ってくれる受け皿の役割。

受け取ってもらえている感

といいましょうか。
この実感を得るために私たちは生きているのでは?それくらい人とのつながりを実感することは重要だと思っています。自分の存在価値を確認できること、パワーをもらって、毎日の活力になるということ

これが生きていく上で絶対に大事。

最後に


みなさん質問です
私が行商の仕事をしていて、一番辛いと感じる時は何だと思いますか?もちろん想像で結構です。



猛暑の中(極寒の中)売り歩く時、、
罵声を浴びせられた時、、
からかわれた時、、
無視された時、、
白い目で見られた時、、

私の答えは

人に会えない時

これが断トツNo.1で辛いです。
ドアをノックしても誰もいない時間。
この時間が地獄。


周りの人からは

無視の方がつらいでしょ?
反応がないのが一番しんどいよ。

と言われますが、いやいや、無視よりも「人に会えない」
こっちの方が断然辛い。これは言い切れます。


ここは行商という特殊な仕事をしている私だけの感覚かもしれませんので説明します。

結論から言うと

無視とはいえ同じ空間は共有している。「会えない」はそれすら叶わない

です。

これは生の人間だから感じられることかもしれません。

行商の場合、声をかけると、相手に何かしらの刺激を与えていることになり、この時点で私と相手には関係性が生まれます。

同じ土台に乗っかったことになり、同じ空間を共有しているということになります。私としてはこの瞬間、人間同士として繋がった感覚なんですが、、、一般の感覚ではよく分からないかもしれませんが。

私はこの時点でもうオッケーというか、その空間内であれば、たとえ反応されなかったとしても、最低限はクリアしているから十分!みたいな感覚になります。既読スルーされているけど、「既読」はついているから安心みたいな感じでしょうか、、、


でも

「会えない」

となるとその状況が生まれないので(一人ではどうしようもできない)

これが一番辛いのです。

行商を始めたての頃は、怒られることや、白い目で見られることが辛いと思っていました(むしろ人に会わない方がノーダメージなので極力会いたくないと思っていましたw)

しかし
35万に会って人間を「概念」で見るようになってくると、その口から発せられる言葉や言動の内容はどうでもよくなりました。

それよりも
私が声をかけた瞬間、パアっと花が咲くように二人だけの空間が生まれ、同じ空気を吸っている、それが何だか嬉しい。その感覚を与えてくれる目の前の生き物が何だか愛おしい、みたいな感じ

そんな感覚になってきたのです。

ああ、、

だから私は人に声をかけたいのか、、
だから人に会えないと辛いのか、、、

これを深掘っていくと

「人間の本質とは何ぞや」

につながっていくのですが、さすがにこれ以上先に進んでしまうと、この記事には戻って来れなくなるのでw、今回はこの辺で。

この記事の続きは私の研究記事にて。
興味のある方はまずは私の自己紹介をご覧ください。

私はこの研究をできるだけ多くの皆さんに知ってもらいたいと思っており、多くのフィードバックを求めておりますので、もしよかったらコメントしてくれると嬉しいです

それではまた!





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