ゆうじトムトム
何気ない日々を日記にしてます。 この中からトゥトゥーの歌詞が生まれてくるかもしれません。 大切に一文字を丁寧に書いていきたいと思います。
週一回 木曜日にアップ
トゥトゥーの曲の歌詞です。
トゥトゥーのLIVE情報をまとめてます。
トゥトゥーがpodcast番組「日々のとりこぼし」と「にんらじ」をやっている。 その時話せなかったことなど追加で想いを書いている。
TAUTOU(トゥトゥー) イヅミ(Ba, Syn, Cho and more)と、ユージ(Vo, Gt, Key and more)による日本のエレクトリック・ポップデュオ。 バンド名の発音アクセントはオドレィ・トトゥと同じ。 60’s/90’sのアンニュイなロックをルーツにAOR・シティポップの要素を併せ持つ。 牧歌的でありながらも、先鋭的なデジタル・グルーブを内包するその緻密なサウンドメイクは、リスナーに多様な解釈を許す。 時代に息づく独自の感性と、それによって行なわれ
どうしても消極的になる。 その理由は、すべて虚無なのではないだろうか? 何もしないでいるべきではないか? でも、そうすると生きてるのがなんとも虚しい。 少しでいいから希望をもてればいいのにと、 ずっと考えていた。 考えてるだけじゃダメだと思い、読書を再開するようになった。 そして、考え求め、もがき読み進めると、いままで見えなかった言葉達が姿を現した。 それは、とても力強く鮮明に俺に突き刺さる。 これまでの答えあわせをしているかのように、腑に落ちる。 自分自身との戦いがあり、い
俺はギターで曲を作ることが多い。 自分のことを音楽家とか、アーティストだと思っていない。 ただ楽しいから自分で作詞作曲をして歌っている。 でも、売れたい、有名になりたい葛藤がないわけじゃない。誰かに聴いてもらわなきゃ演奏することすらできない。 少しでいいんだ、そう思いながらどうすればいいのか、ずっと考えている。 「自分の中に孤独を抱け」岡本太郎が芸術について語っている。 その中で、「絶対的な創造の意志であり、そこにある感動だ。」 「職能的な芸術の狭さに捉われた古い考え方であっ
読書が好きだ。 子供の頃から20歳ぐらいまで、まともに本を読んだこともなかった。 このままではダメだと思い、読めそうな本から読むようになった。 最初は少し読んではやめて、そんな長い時間読めなかった。 いつのまにか本が目の前にあるのがあたりまえになり、読書の時間が待ち遠しいとすら思うようになっていた。 でも、本を読んでることで、知った気になり、いつの間にか人を見下すようになっていた。 こんなに本を読んでいるのだからと、勘違いをして疑うことすらしていなかった。 ほんの少しの読書で
東京は国立市谷保駅近くにある、食べ呑みスペースかけこみ亭。 そのお店の紹介を先にします。 ホームページに書いてあるのが 子連れでゆっくり できる店 女性だけでも 行ける店 青年カップル 中年カップル ノンベーのおっさん 独り者 うれしい時に かなしい時に 楽しい時に くるしい時に かけこみたい時に いらっしゃい! そんなあなたの かけこみ亭 そんなあやしい、30年以上やっているお店。 このお店にはじめて行ったのは、コロナ前の2018年頃だったと思う。 東京に引っ越して
60年前のカメラを手に、タイムスリップした気分で 新宿の街を歩く。 俺が手にしたカメラ、ユージンスミスが日本に来た時に使っていた、ミノルタMT-101だ。 映画「MINAMATA」で、ジョニーデップ演じるユージンスミスが使っていたカメラ。 トゥトゥー相方のイヅミさんは、フィルムカメラやデジカメで写真を撮るのが好きで、気がつくと俺も好きになっていた。 フィルム代が高騰していて、一本数千円する。 少し前の価格は500円ぐらいだったはずなのに。 イヅミさんがカメラを買うと聞き、価格
お金なんてなくなればいいんだ! 物々交換だ! と、息巻いてましたが、、、 どっぷり資本主義の恩恵を受けまくっている。 楽して生きている。 お金が俺に入らないからかもしれないが、 なんだか面白くない。 お金がなくても、もっと色んなことがしたい。 でも、何をするにもお金がかかる。 それならどうすればいいのか? ゆるく脱資本主義を声に出して、少ない賛同者をゆるく集めていく。 そして、その中でゆるく物々交換など、それぞれの想いを形にしていく。 テーマは「ゆるく」 頑張らない
身内が車と自転車の事故にあった。 こちらは自転車。 あいてが右折でこちらが直進。 こちらの信号は歩行者信号点滅での交差点内侵入。 相手の車は右の矢印が出てから発信したと言っている。 まあこんな感じ。 事故内容は車左側に自転車が追突。 あれ?これはおかしないか? 歩行者信号が赤になってから、右折の矢印が出る。 車が右折矢印出る前に発信してる可能性がある。 相手のドライブレコーダーで一部始終が見れるので、それをみて保険の過失割合を決めてもらえばいい。 だかしかし、ドライブレコーダ
詩を読む時、そこに隠された何かを感じようとあれやこれや頭の中で掻き回す。 どれだけ考えてもあるのは、自分の愚かさや浅はかさだ。 それに気づけるだけまだいい。 詩を読む暇も余裕もない事が恐ろしいのだと思う。 詩を読む、この世界の美しいものを感じる、ふとした瞬間に喜びを感じる。 競争社会の中で、自分をあるがままに捉えて、誰とも比べない、そして、あるがままを受け入れる。 日々生活していると、どうしても浮き沈みがある。 沈んでいる時は良くない事を考え、浮いてる時もそれはそれであま
昔に比べると少なくなった「なんでやろ?」 「そんなもんや」で、だいたい片付いてしまう。 もし、そうじゃなかったら? 考えるワクワクを放棄してしまってるんではないか? 勿体無い。 俺はなんて事をしていたんや! そうなんです。 最高の喜びを自ら手放してたなんて、そりゃ絶望感あるわな、と思いながらニヤニヤしてこれを書いてます。 例えばですが、冷蔵庫の扉を開けるとアラスカに繋がっている。 そんな想像してみたんです。 感覚なんで、どこでもドアじゃないんです。アラスカをのことを少し考える
毎日が漠然と過ぎていく、そんな気がしてやるせなさを感じていた。 取り組む事がハッキリしてきたのだが、手ごたえが欲しい。 不安よりもとまどいがあってると思うのだが、要は優柔不断なのだ。 そんな自分を歌った「ためらいは予想」を作ったのだが、頭の中でコネ回すより、やはり文字に起こした方がハッキリする。 今後、歌詞についても触れて行きたいと思うが、今回は置いとく。 とまどいの理由は、手ごたえがないことだと思うのだが、少しの感触を掴めるとやる気がみなぎってくる。 単純な生き物だなと思う
とことん自分自身の能力の無さや、意志の弱さ、社会との関わり方、家族との関わり方に嫌気が差して、自暴自棄になり、そして諦めと共に絶望が俺を覆う。 サイコロを振ってゾロ目が揃うのを待つような、そんな淡い期待の中で生きて来た気がする。 いつか誰かがわかってくれるんじゃないか、俺を救ってくれるそんな勘違いをしながら生きて来たと思う。 その全ての勘違いを無くそうと努力をしてるうちに、何にも希望が持てなくなってしまった。 音楽を細々でもいいから続け行きたいとか、少しのお金があればそれ
最低限の富の分配をしてもいいと思う。 お金はただの紙切れで、衣食住に必要な物を生産している方々に、それに似合う対価を支払えてるとは俺には思えない。 芸術に対しても同じだ。 富裕層なる人達が、その紙切れ、数字を所有している。 お金があれば偉いなど、ただのまやかしだ。 お金は必要だ。でも、お金に支配されてはいけない。 何をするにもお金は付きまとう。 あれば余裕が生まれる。 ないと思考停止してしまう。 どうすればこの状況を変えていけるか? 今、現時点の考えは、少しばかし抗う。 こ
青春18切符を使って福島へ。 いづみさんの友達のKさんに会いに行って来た。 Kさんとは初対面。電話で一度話した事がある。 前日入りして、いづみさんと晩御飯を食べに居酒屋に行った。 郡山駅の近くのホテルをとったので、アクセスはよかった。 Googleレビューを見ながら、価格も見ながら、良さそうなお店を探していざ突入。 お昼に宇都宮餃子を食べたので、お腹はあまり減ってなかった。青春18切符はその日の内ならJRなら何度でも乗れるので、休憩がてら駅から降りてウロウロした。 乗車時
今日noteに上げる日なのですが、なんとなくストックあったよな、と思いながらnoteを開くと、ない 電車乗りながら、ただいま書いてます。 アルコールを呑むのが好きです。でも毎日だと飽きてきて、惰性で呑んでるような気がして嫌になります。昨日は久しぶりに休肝日なる物を設けました。 出来れば毎日呑むのをやめて、特別な日に少量を楽しめたらいいなと思ってます。 目の前に電車の広告があって、グリンテーが15年ぶりに来日するらしいです。 グリンデーの思い出は、2003年ぐらいにサマソニ
面白い、やってて楽しい事、誰にもなるべく迷惑をかけない、お金をかけない、体や心を削らない、壊さない、そんなルールの中、創作活動をしている。 音楽活動を続けていて、それだけではどうしても詰んでしまう。その理由は資本主義経済だからと、言い訳をする。 お金、地位、名誉、それを手にしたい欲がない。 生きる事への執着もない。 それは平和ぼけしたやつの末路なのかもしれない。 だけど、面白がって生きていたいという欲はある。 毎日わくわくして生きたい。 そのヒントが創作活動に隠されてい