天正8年(1580)1月17日は羽柴秀吉が別所長治の籠る播磨の三木城を兵糧攻めで攻略した日。信長の中国攻略に協力した長治が天正6年2月に突如として毛利に内応して籠城。三木の干殺しと呼ばれる2年弱に及ぶ包囲戦は城兵の助命を条件に長治が自刃し終結。東播磨を抑えた秀吉は西へ進むことに。
永禄12年(1569)1月6日は将軍足利義昭の仮御所の本圀寺を囲んだ三好三人衆を撃退した日。前日から攻め寄せた敵を明智光秀らが防ぐと細川藤孝・池田勝正・荒木村重など畿内の諸将が駆け付け撃退した。岐阜の信長は大雪の中を僅かな供を連れ急ぎ出立すると到着したときには数人の凍死者が出た。