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疑ってみる、信じてみる、共感してみる。
玄関の呼び鈴がなった。
土曜日の午前中、息子は囲碁教室、妻は息子のお迎えで出かけたばかりだ。寝床で数冊の本を乱読していたボクは、インターフォンの受話器をとった。
「私は◯◯地区に住む□□という者で、聖書の言葉をひとつお届けに参りました」
中年の女性の品の良い声だった。こうした訪問は数年に一度にある。
身近な人でそうした信仰をもつ人がいて、でもボクはどこか疑念を持ってその人の言動をとらえているとこ
コインの裏が出たら「やらない」
相変わらず、ウダウダ。
年も押し迫った休日の昼間。布団をかぶり、「いやだぁ〜」と駄々をこねている。とはいえ、前日は100円玉をコイントスして、表が出てしまったものだから、渋々ながらも、滞っている提出書類の作成に着手。
まっ、やると自分で決めたことではないのだけれど、コインの表が出たら「やる」として、表が出たということで、余計な思考や言い訳が頭の中から消えた。
というわけで、本日は2度目のコイ
コインの表が出たら「やる」
全くやる気が出ない・・・ というよりも考えすぎて動けない……
年末年始休暇に突入。と言いつつも、気楽になれた訳ではなく、数ヶ月放置していたプライベートでの案件にようやく取り組もうとしようとしてまだ悩んでいる。考えてばかりいて、動けない……。
では、どうしようか……。最近、図書館から借りてきた本をふと見つけて、現実逃避をまたもすることにしてしまう。パラパラと目次をめくる。
Chapter2 そ
SOUとUTU (躁と鬱)
ゴールテープ目前で倒れた感覚
稲刈りが済んで、わが家のハザ掛けした稲の脱穀も終わった10月の下旬の日曜日、ボクの中の緊張の糸がプツッと切れた感覚があった。
「あぁ…… あと一息のところで間に合わなかったぁ」
そんな心の声の叫びが頭に鳴り響いた。
妻のにこやかな冗談の一言が、ボクは何故だか堪らなく許せない気持ちになり、怒りの感情が湧き上がり、庭の小さな石灯籠を蹴飛ばした。
知人とプライベート
「塩って大切なんだ」って実感した。
みなさん、『塩抜きの刑』というのはご存知でしょうか? その昔、シベリアに抑留された捕虜の人達は、塩分を加えていない食事を与えられ、そのため活力を奪われ、命を落とした人がいたそうです。そう云えば、司馬遼太郎の『俄(にわか)』という作品にも「汁留(しるどめ)」というのがありました。食べ物から塩を抜くと、どんな凶暴な死刑囚ですら3日も経つとおとなしくなるという逸話でした。
さて、わが家での小さくも
『100年の徳』(後半)
2020年の僕noteを始めて、『100年の徳』(前半)を書こうと思っていた頃、世の中は新型コロナが流行りはじめていて、僕自身も何となく気持ちが塞ぎがちになったりして、気がついたら後半を書くことを随分と長い間ほったらかしの状態のままにしちゃってました。
さて、1年経ってみて振り返ってみても、僕の胸の中にある想いは変わらずにあるんだなぁ、ということに気がつきます。
それは、「想いは人の心を通じて
『100年の徳』 (前半)
囲炉裏がある家 2020年2月、岐阜にある私の実家に友人・知人の皆さんが大勢集まってくれました(まだコロナ騒動が始まる前)。私の実家は築120年ほどの古民家になりつつある感じの家です。土間や囲炉裏があります。そして土間や囲炉裏しかありません。
田舎というところは、都会の方からしたら何にも無い場所です。いえ、この表現は少し的を外した言い方なのかもしれません。田舎というところは、むしろ田舎の者から
人間の「おこがましさ」を感じたこと
ちょうどひと月ほど前でしょうか、新型コロナ(COVID-19)の第2波が来ると言われ始めた頃の2020年7月13日、お盆のため私は実家がある岐阜県に帰省をしておりました。
祖父母が数年前に他界して以来、実家の庭は荒れ放題です。草花が好きだった祖母が毎日目についた草をちょんちょんと摘んで抜いていた姿を思い出すと、日々の些細な行いが、どれほど大事であったのかと痛感します。
そこで隣町に住む庭師さん
八ヶ岳に住むこと -心で耕す、心をたがやす-
わが家の家庭菜園画像は、わが家のまえにある小さな家庭菜園です。手前に行者ニンニク・奥にイチゴの葉が見えています。苗の周りには、周辺から刈り取った草を敷いています。
これは「雑草マルチ」という方法でして、一般的な黒いビニール素材の防草マルチに比べて、ゴミになりませんし、時間が経てば土に還りますので、とても合理的。家庭菜園レベルではお金もかけなくて良いので経済的です。自然環境にも優しい。
さて、家
僕たちの生きる時代を考える -発想ノートvol.1-
ホテル滞在型ライフ時代がやってくる
結論から述べますね。これからの時代は、ダレもカレもが「ホテル滞在型ライフ」が可能となって、そんな生活が当たり前となるでしょう。では、いったいどうしてこんなことを考えたのか?
ということで、私のメモが下の表です。
発想のきっかけは、縄文時代と弥生時代の違いってなんだろう? って素朴な思いつき。私が現在住む八ヶ岳の麓の茅野市。ここではかつて、人類が矢じりの先やナ
イマ的な学び方 その1 (子どもとゲーム)
仕事から帰宅すると、小学4年生の息子がパソコンに向かって何やら熱心に観ています。しかも正座で。そして、聴こえてくるのは英語。いったい彼は何を観ているのかな???
画面を覗き込むと、何やら四角いブロックを積み重ねた人間がたくさん動いています。妻に尋ねると、『マインクラフト(Minecraft)』とというゲームとのこと。あぁ、これがイマ、小学生の子ども達が夢中になっているマイクラというゲームなんだと
八ヶ岳に住むこと -Prologue-
都内の大学を卒業して、故郷の長野県に職を得て今年で20年目となる。木曽谷生まれで、伊那谷育ちの私。そして社会人となってからは、八ヶ岳西麓の茅野市に居を構えている。
生を得て幼少期を過ごした木曽谷。明治の文豪・島崎藤村の『夜明け前』の冒頭は「木曽路はすべて山の中である」の一節から始まるが、実際のところその通りで、狭い谷に挟まれた木曽谷の日の出は遅く、日没は早い。
天竜舟下りで知られ、林檎や
「曲がったキュウリ」は、僕なのかもしれない。
5月の日曜日、今朝も家庭菜園の土起こしをしました。さて、今年はどんな野菜を作ってみようかなと思っていますが、いつも放ったらかし栽培になりがち。これまでに唯一この栽培方法が成功したのは、アスパラガス。取っても取っても後から生えてきてくれて、株が残るため何年も収穫することができました。
そうそう、もう15年ほど前ですが、独身のアパート暮らし時代の頃、隣村の畑を安く借りて野菜作りに精を出した頃もあ