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僕たちの生きる時代を考える -発想ノートvol.1-

ホテル滞在型ライフ時代がやってくる

結論から述べますね。これからの時代は、ダレもカレもが「ホテル滞在型ライフ」が可能となって、そんな生活が当たり前となるでしょう。では、いったいどうしてこんなことを考えたのか?

ということで、私のメモが下の表です。

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発想のきっかけは、縄文時代と弥生時代の違いってなんだろう? って素朴な思いつき。私が現在住む八ヶ岳の麓の茅野市。ここではかつて、人類が矢じりの先やナイフとして使用した黒曜石が多く産出され、交易の場でもありました。日本史の教科書にも掲載される尖石縄文遺跡があり、観光スポットとしても有名です。

さて、ここで縄文時代と弥生時代の違いですが、ザックリ言いますと、前者が狩猟採集生活、後者が農耕生活と言われています。石器時代から考えると、人々は徐々に移住型の生活から定住型の生活にシフトしていきました。

ここでは、学校で散々教わった歴史のお話は割愛しますね。ここからが、私の発想の本題です。

ご存知のとおり、2020年前半は人類が生活する世界全体を新型コロナウイルスが襲い猛威をふるい、今もなお地球全体ではその脅威が続いています。withコロナ時代と呼んでいますね。

日本政府による非常事態宣言が発令されてから、私たちは自宅待機を余儀なくされる生活を数ヶ月間経験。子どもたちは学校に通うことができなくなり、大人達はリモートワークという新しい勤務形態の生活がはじまりました。

この結果、私たちはパソコンやスマートフォンから様々なリモートアプリを使っい、離れた場所にいる複数の人達とリアルタイムにつながりながら、情報や時間を共有できてしまうという事実を知ってしまいました。

仕事以外の場面では、「ZOOM飲み会」といった友人知人と画面を介してながらお酒を酌み交わすというユニークな現象も生まれました。家庭の都合でふだんなかなか外に飲みに行く機会が少ない私も、実際にZOOM飲み会にいくつか参加。なかなか楽しい経験ができました。

全ての人がリモートツールを使って新しいつながり方法を経験した訳ではありませんが、これからはこうしたワークスタイルやプライベートライフが当たり前となる時代がやってくるのかもしれません。

withコロナ時代と縄文時代に共通すること

コロナ禍の生活では、私達は自宅という閉鎖された空間で多くの時間を過ごさざる得ませんでした。あたかも洞窟の中で長雨が止むのを待つ石器時代の人たちと同じ気持ちかもしれません。こんな閉じ籠った生活を人は倦(う)み、寂しさも感じます。

縄文時代の人たちは生きる術(すべ)として、仲間たちと食べ物を分け合うことで厳しい自然環境を生き延びました。それでは、withコロナ時代の私達が分け合えるモノは一体何でしょうか?それは「情報」。情報を共有し、励まし合うことで、この時代の困難を乗り越えようとしています。

縄文時代の人たちと、withコロナ時代の私たちに共通すること。それは「競争」ではなく、「共同」や「共感」といった手法により、人々がつながりを必要としていることではないでしょうか。

更には、住居や居住スタイルにも新しい動きがあります。「2拠点生活」や「他拠点生活」といった言葉を聞かれたことがあるかもしれません。これは、都会と地方(田舎)の2つ(またはそれ以上)の土地で、両者のメリットを上手に融合させて生活しようという新しい価値観による暮らし方です。

このライフスタイルは、withコロナ時代と呼ばれる少し前から提唱されている考え方であり、生活のあり方なのですが、そのあたりはやや大きくひっくるめて考えてみたいと思います。

縄文時代においては、複数の土地で暮らす生活の移住型スタイルって、実は既に当たり前だったのではないか?って私は考えています。自然の恵みを求めて狩猟や採集を繰り返す暮らしは、厳しい自然の中を渡り歩く生活と表裏一体です。

そんな時に、豊かな恵みがある土地はいったいどこか?と知ることは、縄文時代に人にとっては非常に重要な情報であったであろうと推測します。そして黒曜石というツールの交易と共に、そうした情報も取り交わされたであろうと考えます。

つまり、生きてゆく手段として、移住しながら生活の糧を得るというスタイルがあり、そのために情報は非常に重要である。「情報の質」の取り扱いにおいて、2つの時代はよく似ているのではないだろうかと考える訳です。

afterコロナ時代に訪れるライフスタイル

上記メモの表の最下段では、これから訪れるafterコロナ時代について考えてみました。ここはまだ私も直感的で抽象的なイメージでしかありません。ボンヤリとではありますが、こんな価値観やライフスタイルを重視する時代がやってくるのではないかという予感が私にはあります。

キーワードは、「空間」と「時間」。リアルな実態的な空間であれ、仮想空間であれ、同一空間を共有できるためには、様々な制約や条件をクリアしてゆかなければいけない時代がくるでしょう。

これまではお金があれば飛行機に乗って地球の裏側にでも行けました。しかし、例えば、情報セキュリティで保護された仮想空間には、認証を許可された人しか入れません。そしてこうした場所の存在は無限に誕生するでしょう。

ある特定の空間の共有を許されるには、これまでとは全く別の個人の能力が求められるかもしれません。また空間を超えて人と人とがつながりを持ち始めると、時間の意味や感覚は、今とは全く別の原理で扱われる様になるかもしれません。

論理があまりにも飛躍してきていますが、この想像の行き着く先の世界の住人達の間では、『時間格差』という概念が、人々のライフスタイルを分かつ気がするのです。この論理の飛躍の溝を埋めることは、また別の機会にいたしましょう。

冒頭の「ホテル滞在型ライフ時代がやってくる」ですが、「空間&時間」の豊かさを手にした人達の暮らしは、これまでの「家」という概念が不要になるでしょう。そんな時代がきっとくるでしょう。

それでは、また。(つづく)





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