Phachinosuke(ハチノスケ)

<座右の銘> 遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶこどもの声きけば …

Phachinosuke(ハチノスケ)

<座右の銘> 遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶこどもの声きけば わが身さえこそゆるがるれ

マガジン

  • ちあき*千秋の章

    • 2本

    ちあきのプロットです

最近の記事

疑ってみる、信じてみる、共感してみる。

玄関の呼び鈴がなった。 土曜日の午前中、息子は囲碁教室、妻は息子のお迎えで出かけたばかりだ。寝床で数冊の本を乱読していたボクは、インターフォンの受話器をとった。 「私は◯◯地区に住む□□という者で、聖書の言葉をひとつお届けに参りました」 中年の女性の品の良い声だった。こうした訪問は数年に一度にある。 身近な人でそうした信仰をもつ人がいて、でもボクはどこか疑念を持ってその人の言動をとらえているところがある。そんな思いが重なりボクはこう答えた。 「あぁ〜、おはようございます。

    • この生き様は、ニンゲン◯回目だろう?

      大寒波がもたらした氷の芸術  十数年に一度の大寒波がやってきた2023年のはじめ。岐阜県の東のはじにあるボクの実家は大丈夫だろうなんてタカを括っていたら、2月になり水道局の方から電話があり、「2階のトイレが凍結破裂したらしく、水道メーターがえらく回ってます」との話。  翌日、高速道路を西に2時間ほど走り、実家に到着すると、トイレの北東側の日陰の辺りには、自然が長い時間をかけて造形した氷の彫刻が出来上がっていた。2階のトイレの天井はずぶ濡れ。廊下に溢れ出た水は、階下の居間と

      • 倉庫としての場所 (スーパーと古本屋)

        「近所のスーパーは倉庫だった」 と幼なじみの料理人は言った。  先日、田舎に帰省した時、幼なじみに会ってきた。というよりも近所のスーパーが数年前に店舗閉鎖してしまって、食料が手に入らずに困った僕は、料理人である彼に何か食べさせて欲しいとせがみに行ったわけだ。  幼なじみの友人に電話すると、彼はいつもの陽気な声で 「おおっ、ちょうど昼のお客さんが帰ったところで仕込みしてるだけだから来いよ。そうだなぁ、おでんどうよ。温めておくよ。」 と涙ものの神対応。  歩いて数分の彼のお

        • 「ひまわり」をとおしてのぞく世界の姿

          頭の片隅でずっと気になっているニュース 2022年の10月にこんなニュースを知りました。 ロンドンのナショナル・ギャラリーに保管展示されているゴッホのひまわりの作品に環境活動家がトマトスープをぶちまけるという事件。このニュースのことが、ボクの頭の片隅にずっと引っかかっている。どうしてなんだろう? ネットのニュースを検索してみると、この話題は、その後、様々な反響を呼んだり、更なる過激な環境活動家の人たちに同様な行動をとらせる呼び水にもなったりしたようだ。 この東洋経済O

        疑ってみる、信じてみる、共感してみる。

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        • ちあき*千秋の章
          2本

        記事

          コインの裏が出たら「やらない」

          相変わらず、ウダウダ。 年も押し迫った休日の昼間。布団をかぶり、「いやだぁ〜」と駄々をこねている。とはいえ、前日は100円玉をコイントスして、表が出てしまったものだから、渋々ながらも、滞っている提出書類の作成に着手。 まっ、やると自分で決めたことではないのだけれど、コインの表が出たら「やる」として、表が出たということで、余計な思考や言い訳が頭の中から消えた。 というわけで、本日は2度目のコイントス。ちなみに本日の課題は、職場のWeb研修課題の視聴学習。ホントであれば、職

          コインの裏が出たら「やらない」

          コインの表が出たら「やる」

          全くやる気が出ない・・・ というよりも考えすぎて動けない…… 年末年始休暇に突入。と言いつつも、気楽になれた訳ではなく、数ヶ月放置していたプライベートでの案件にようやく取り組もうとしようとしてまだ悩んでいる。考えてばかりいて、動けない……。 では、どうしようか……。最近、図書館から借りてきた本をふと見つけて、現実逃避をまたもすることにしてしまう。パラパラと目次をめくる。 Chapter2 その07 「やる」か「やらない」かの決断は、コインで決めても一緒 そうか、そうか

          コインの表が出たら「やる」

          SOUとUTU (躁と鬱)

          ゴールテープ目前で倒れた感覚 稲刈りが済んで、わが家のハザ掛けした稲の脱穀も終わった10月の下旬の日曜日、ボクの中の緊張の糸がプツッと切れた感覚があった。 「あぁ…… あと一息のところで間に合わなかったぁ」 そんな心の声の叫びが頭に鳴り響いた。 妻のにこやかな冗談の一言が、ボクは何故だか堪らなく許せない気持ちになり、怒りの感情が湧き上がり、庭の小さな石灯籠を蹴飛ばした。 知人とプライベートで梅雨前から取り組んでいたイベントが終わり、残すは精算をする段階のみ。関係する支

          「塩って大切なんだ」って実感した。

           みなさん、『塩抜きの刑』というのはご存知でしょうか? その昔、シベリアに抑留された捕虜の人達は、塩分を加えていない食事を与えられ、そのため活力を奪われ、命を落とした人がいたそうです。そう云えば、司馬遼太郎の『俄(にわか)』という作品にも「汁留(しるどめ)」というのがありました。食べ物から塩を抜くと、どんな凶暴な死刑囚ですら3日も経つとおとなしくなるという逸話でした。  さて、わが家での小さくも大きな出来事は、妻が過労で体調を崩してしまったことでした。毎夜、小学校の地区のP

          「塩って大切なんだ」って実感した。

          『100年の徳』(後半)

          2020年の僕noteを始めて、『100年の徳』(前半)を書こうと思っていた頃、世の中は新型コロナが流行りはじめていて、僕自身も何となく気持ちが塞ぎがちになったりして、気がついたら後半を書くことを随分と長い間ほったらかしの状態のままにしちゃってました。 さて、1年経ってみて振り返ってみても、僕の胸の中にある想いは変わらずにあるんだなぁ、ということに気がつきます。 それは、「想いは人の心を通じて時代を越えて伝わる」ということ。 2020年の私は何をしていたかというと、職業

          『100年の徳』(後半)

          『100年の徳』 (前半)

          囲炉裏がある家 2020年2月、岐阜にある私の実家に友人・知人の皆さんが大勢集まってくれました(まだコロナ騒動が始まる前)。私の実家は築120年ほどの古民家になりつつある感じの家です。土間や囲炉裏があります。そして土間や囲炉裏しかありません。  田舎というところは、都会の方からしたら何にも無い場所です。いえ、この表現は少し的を外した言い方なのかもしれません。田舎というところは、むしろ田舎の者からすると、ほんとうに何も無い場所なのです。  知人である、神奈川の男性、京都から

          『100年の徳』 (前半)

          人間の「おこがましさ」を感じたこと

          ちょうどひと月ほど前でしょうか、新型コロナ(COVID-19)の第2波が来ると言われ始めた頃の2020年7月13日、お盆のため私は実家がある岐阜県に帰省をしておりました。 祖父母が数年前に他界して以来、実家の庭は荒れ放題です。草花が好きだった祖母が毎日目についた草をちょんちょんと摘んで抜いていた姿を思い出すと、日々の些細な行いが、どれほど大事であったのかと痛感します。 そこで隣町に住む庭師さんに連絡を取り、この荒れ放題となった庭を見てもらい、アドバイスをもらう事にしました

          人間の「おこがましさ」を感じたこと

          八ヶ岳に住むこと -心で耕す、心をたがやす-

          わが家の家庭菜園画像は、わが家のまえにある小さな家庭菜園です。手前に行者ニンニク・奥にイチゴの葉が見えています。苗の周りには、周辺から刈り取った草を敷いています。 これは「雑草マルチ」という方法でして、一般的な黒いビニール素材の防草マルチに比べて、ゴミになりませんし、時間が経てば土に還りますので、とても合理的。家庭菜園レベルではお金もかけなくて良いので経済的です。自然環境にも優しい。 さて、家庭菜園で野菜を育てるという作業はとても楽しいひと時となります。一方で畑の土を耕す

          八ヶ岳に住むこと -心で耕す、心をたがやす-

          僕たちの生きる時代を考える -発想ノートvol.1-

          ホテル滞在型ライフ時代がやってくる 結論から述べますね。これからの時代は、ダレもカレもが「ホテル滞在型ライフ」が可能となって、そんな生活が当たり前となるでしょう。では、いったいどうしてこんなことを考えたのか? ということで、私のメモが下の表です。 発想のきっかけは、縄文時代と弥生時代の違いってなんだろう? って素朴な思いつき。私が現在住む八ヶ岳の麓の茅野市。ここではかつて、人類が矢じりの先やナイフとして使用した黒曜石が多く産出され、交易の場でもありました。日本史の教科書に

          僕たちの生きる時代を考える -発想ノートvol.1-

          イマ的な学び方 その1 (子どもとゲーム)

          仕事から帰宅すると、小学4年生の息子がパソコンに向かって何やら熱心に観ています。しかも正座で。そして、聴こえてくるのは英語。いったい彼は何を観ているのかな??? 画面を覗き込むと、何やら四角いブロックを積み重ねた人間がたくさん動いています。妻に尋ねると、『マインクラフト(Minecraft)』とというゲームとのこと。あぁ、これがイマ、小学生の子ども達が夢中になっているマイクラというゲームなんだと理解。 マインクラフトのゲームの内容をここでは触れないのですが、私が印象的だっ

          イマ的な学び方 その1 (子どもとゲーム)

          八ヶ岳に住むこと -Prologue-

           都内の大学を卒業して、故郷の長野県に職を得て今年で20年目となる。木曽谷生まれで、伊那谷育ちの私。そして社会人となってからは、八ヶ岳西麓の茅野市に居を構えている。  生を得て幼少期を過ごした木曽谷。明治の文豪・島崎藤村の『夜明け前』の冒頭は「木曽路はすべて山の中である」の一節から始まるが、実際のところその通りで、狭い谷に挟まれた木曽谷の日の出は遅く、日没は早い。  天竜舟下りで知られ、林檎や干し柿を特産とする飯田・下伊那地区。父の仕事の都合もあり、小学生高学年から高校生

          八ヶ岳に住むこと -Prologue-

          「曲がったキュウリ」は、僕なのかもしれない。

           5月の日曜日、今朝も家庭菜園の土起こしをしました。さて、今年はどんな野菜を作ってみようかなと思っていますが、いつも放ったらかし栽培になりがち。これまでに唯一この栽培方法が成功したのは、アスパラガス。取っても取っても後から生えてきてくれて、株が残るため何年も収穫することができました。  そうそう、もう15年ほど前ですが、独身のアパート暮らし時代の頃、隣村の畑を安く借りて野菜作りに精を出した頃もありましたっけ。夏野菜は、あとからあとから実を結ぶので一人では食べきれなかった事を

          「曲がったキュウリ」は、僕なのかもしれない。