コインの裏が出たら「やらない」
相変わらず、ウダウダ。
年も押し迫った休日の昼間。布団をかぶり、「いやだぁ〜」と駄々をこねている。とはいえ、前日は100円玉をコイントスして、表が出てしまったものだから、渋々ながらも、滞っている提出書類の作成に着手。
まっ、やると自分で決めたことではないのだけれど、コインの表が出たら「やる」として、表が出たということで、余計な思考や言い訳が頭の中から消えた。
というわけで、本日は2度目のコイントス。ちなみに本日の課題は、職場のWeb研修課題の視聴学習。ホントであれば、職場の勤務時間内に堂々と学んで良いのだけれど、今年は例年にもまして、私の職務である職場の設備管理面で故障や修理案件が多発しており、落ち着いてWeb研修になど取り組む余裕などなかったのである(という言い訳)。
で、「あぁ〜、やりたくない」と思いつつ、100円玉を放り上げる。
すると、出た! 裏だ。
一瞬、「やったぁ」と思えた。よしこれで今日は課題に取り組まなくて良いというお墨付きをコイン様にいだだけたと思えたからだ。
なにかウズウズしてしまう。
「よぉ〜し、今日はWeb研修の課題はやらなくて良いんだぁ!」と気分晴れ晴れに、布団を畳み、押し入れにあげ、窓を開ける。冬の晴れた空から新鮮が空気が室内に流れ入る。
小学生よりも酷い言い訳を四十過ぎの大人が堂々と思いながら現実逃避している姿は、まったくもっていかがなものかと思うけれど、布団から出ようという気持ちになれたのだし、実際に布団を畳み片付けることができたのだから、これはこれで良いのではなかろうか。
さて、とはいえ前日に着手した例の提出書類。もっとも気が滅入る経費生産の証票書類(レシート、領収書)の確認と台紙貼りが残っている。
ううぅ。
ただし、今日も休日なのである。そしてコイントスをしてしまったばかりに、当面やるべき課題が今日は消えた。では、ウダウダと時間ばかりを怠惰に使って過ごしてきた日々にもピリオドを打とうではないか。
コイントスはしないで、取り組んだこと。
やることは至極、簡単である。20枚ほどあるレシート(領収書)の日付と金額を確認して、エクセルシートに入力するだけ。たったこれだけのことがどうにも億劫となってしまったのには理由は、あるにはあるのだが、まぁ、とにかく嫌だったのである。
15分だけやろう。そう考えて数枚のレシートの確認やエクセル入力や台紙貼りを終えると、あっという間に時計の長針は90度を越えて回転していた。
「あと、90度だけ針を進めてみるか」
気がつくと、書類整理用の箱にクリアファイルに入れて重ねていたレシート類は全てチェックを終えていた。時計の長針は270度ほど回転していた。まだ書類を全て完成させた訳では無かったが、とりあえず大きな山を越えた。
コインの裏が出たら「やらない」 =「できない」 への気持ちの変化
不思議なことに、「やらない」と決めたら気持ちがスッキリするのかと思っていたのだけれど、予想外に気持ちが落ち着かなくって戸惑った。「やらなければいけない」という気持ちから解放されたと同時に、もし「やろう」と思ってみたとしても、コインが出した結論は「やらない」=「やってはいけない」ということなのだと気がついた。
「やらな(くてもい)い」 = 「やってはいけない」
となり
「やってはいけない」 = 「やりたいと思っても、できない」
へと気持ちが変化していて、何だかとても不思議なジレンマを感じた。
兎にも角にも、その日はもうやれることがなくなってしまった。妻と息子は年末の大掃除に午前中から取り組んでり、わぁ〜わぁ〜キャァ〜キャァと賑やかである。
しょうがなく、わが家の隣に借りている田んぼの地主さんに年末のご挨拶とお礼のお菓子を届けに行くことにした。
明日は、コイントスをしない。
先延ばししたWeb研修の視聴期間は、大晦日まで。未だ1/3ほどを残している。
父親の体たらくとは対照的に、息子は冬休みの宿題を毎日健気にこなしている。どうしてこんな立派なお子様に成長できちゃったのであろうか。きっと妻のお陰なのだろうなぁ。
さて、明日は大晦日。もうコインの両面とも表が出るコインを投げざるを得ない。
よしっ、明日はコイントスをしない。
(終わり)
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