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『100年の徳』(後半)

2020年の僕

noteを始めて、『100年の徳』(前半)を書こうと思っていた頃、世の中は新型コロナが流行りはじめていて、僕自身も何となく気持ちが塞ぎがちになったりして、気がついたら後半を書くことを随分と長い間ほったらかしの状態のままにしちゃってました。

さて、1年経ってみて振り返ってみても、僕の胸の中にある想いは変わらずにあるんだなぁ、ということに気がつきます。

それは、「想いは人の心を通じて時代を越えて伝わる」ということ。

2020年の私は何をしていたかというと、職業人(社会人)としての私の生活はサラリーマンとして以前とあまり変わり映えのない生活でした(新型コロナの絡みで忙しくなったこととかの影響はありましたけど)。

プライベートの時間は、”籠って”、”捨てて”、”整える” ということにひたすらに注力していました。特に実家の粗大ゴミの処分や、現在住む家の書斎に溜まった情報の山を手放す作業。想いや情報にがんじがらめになっていた自分と別れる作業。

2020年は数えてみると実家にのべ39日間も帰省していました。知人友人の皆さんがチョコチョコと遊びに来てくれて、片付けのお手伝いをしてくれたり、夜は囲炉裏を囲んでワイワイと酒盛りに明け暮れていました。

そんな中で気がついたこと。

自分の弱さを隠すことはしなくても大丈夫ってこと。むしろ弱さをさらけ出して見せられることが、時にはとっても大切なことなのかもしれない。実家の片付けを通して、たくさんの人に助けてもらって気がついた人との繋がり。

ご先祖さまのお話をする近所のオジちゃん

囲炉裏でマシュマロを焼いて近所のオバちゃんに食べさせてあげたら、僕がびっくりするほどオバちゃんはとっても喜んでくださって、御礼におにぎりがどっさりと鍋いっぱいのお味噌汁を届けて下さったのは、前半でのお話でした。

その後、何度か帰省するたびに近所のオバちゃんには、お世話になってばっかりなんだけれど、オバちゃんのお家にお呼ばれしてお茶をいただりしていると、自然と昔話の話を聞かせてもらえて、地域のことを徐々に知ることができてきました。

オバちゃんの旦那様は、もう90歳に手が届く年齢のオジちゃまなんですけれど、オジちゃん曰く、「君のひいお爺さん(曽祖父)は、すごく賢い頭の良い人だったんだぞ」と力説してくれました。

祖父からの聞き伝えによれば、曽祖父は御嶽山の麓の村から婿養子としてやってきて、この村の発展に随分と貢献したのだそうです。村のことを記した書き物を以前に読んだ時に、曽祖父のことが書かれた文を読んだ記憶もあります。

当時、オジちゃんは小学生ぐらいの子供だったそうだけれど、僕の曽祖父の姿をよく覚えていてくださっている様子で、とにかく私に向かって、私の曽祖父のことを褒めちぎってくださる。

きっとオジちゃんは、お家の中でオバちゃんにもそうした話をしてくれているんだろうなぁと思います。ちなみにオジちゃんは、小学校の教師だった祖父の教え子にもなるそうらしいけれど、祖父のこといついては「う〜ん、君のお爺ちゃんは、まあまあだね」とおっしゃていて、僕の曽祖父と祖父に対するオジちゃんの評価のギャップの大きさには、なんだか苦笑いをしてしまいます。

時代を越える「徳のバトン」

まっ、つまりは何を言いたいかと申しますと、僕のひいお爺ちゃんのおかげで、僕は美味しい沢山のおにぎりや鍋いっぱいのお味噌汁をいただけたというお話です。

故郷の実家を離れて30年以上経つのですが、辛うじて私の存在を知っていてくださる方が、故郷の実家の近所にはいて、昔、僕のご先祖さまにお世話になったという想いを今なお大切にしてくださっていることは、とても有り難いことだなぁって思います。祖父が生きていた時代から100年近くの時を経た今、その想いを現在の私にお返ししてくださる。

人には寿命があって、いつかその命の炎は消えてしまうのは確実なことなんですけれど、ロウソクの灯火の様に、その灯りの火を継ぎ足して明かりを絶やさないようにすることはできるんだなぁ、なんてそんなことに気がつきます。

マシュマロがおにぎりに化けてびっくりしたというエピソードは、こんがりと焦がしが入ったマシュマロの美味しさにおばちゃんが感動してくれた、なんて単純なお話ではなくて、僕の曽祖父が持っていた「想いのバトン」をオジちゃんやオバちゃんが受け取ってくれて、その「想いのバトン」をひ孫である僕にもう一度渡してくださったのかもしれません。

それは、「徳のバトン」と呼べるものなのかもしれません。

故郷を離れて、僕は今、何ができるのかな。八ヶ岳に登る朝日を眺めて暮らす生活をする僕ですが、故郷の恵那山に想いを馳せて、オジちゃんとオバちゃんが渡してくれたバトンを胸の奥に抱いて生きています。

僕もいつか、このバトンを息子や周りの方々に渡せるように生きていきたい。そんな想いでおります。

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(終)



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