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八ヶ岳に住むこと -Prologue-

 都内の大学を卒業して、故郷の長野県に職を得て今年で20年目となる。木曽谷生まれで、伊那谷育ちの私。そして社会人となってからは、八ヶ岳西麓の茅野市に居を構えている。

 生を得て幼少期を過ごした木曽谷。明治の文豪・島崎藤村の『夜明け前』の冒頭は「木曽路はすべて山の中である」の一節から始まるが、実際のところその通りで、狭い谷に挟まれた木曽谷の日の出は遅く、日没は早い。

 天竜舟下りで知られ、林檎や干し柿を特産とする飯田・下伊那地区。父の仕事の都合もあり、小学生高学年から高校生までを、私はこの地で過ごした。木曽谷から伊那谷へ移り住んで感じたことは、空がとても広いということ。

 高校を卒業するも浪人生となった私は、東京の予備校へ通うことになった。お茶の水界隈の某S台予備校時代、私はビルに囲まれたジャングルを彷徨い歩く毎日。今でも出張や家族旅行で時々この街を歩く時、胸の奥は何だかザワついてしまう。

 この頃住んでいたのは、千葉県・船橋にある予備校の寮。予備校の行き帰りは総武線に揺られ、車窓から東京湾の小さな海を眺めていた。心のどこかで山を探してみては見るものの虚な僕の心には、大きな水たまりにしか感じられなかった。

 2年間の浪人生活を抜け出して、都内の私立大学にやっと滑りこむことができた。水を得た魚・羽が生えた鳥となった私は、バイクにテントを積んで日本各地を走り、友人に誘いのままに海を越えては世界の広さを垣間みることに夢中だった。

 あんなに憧れていた都会生活。6年間ではあったけれど、日々、あふれる人の波に僕は溺れてしまい、とても息苦しかった。山が見たかった。星空を見たかった。川のせせらぎ、鳥のさえずり、虫の声が、懐かしくてたまらなくなっていた。

 大学4年生の春。教職課程の授業はすっぽかすけれど、再履修のフランス語の授業だけは真面目に出席。そんなある日、就職課の担当の方からの呼び出し。「長野県に姉妹校を持つ都内の大学が職員を募集してる。採用試験を受けてみない?」

 「本が読める。山を眺めて過ごせる。」そんな単純な動機だけが、私を採用試験へと足を運ばせた。そして、本当に幸運なことに、私は故郷の信州に戻るチケットを手に入れた。行き先は、八ヶ岳の麓の町・茅野市。かやの? 読めなかった......。

 初めて暮らすこととなる八ヶ岳。諏訪湖なら知っている。親戚は住んでいるらしいが、知り合いは誰もいない。大学卒業を間近に控えた冬の終わり、私は引越し先とするアパートを探すために、新宿から鈍行列車に揺られ、信州へと向かった。

(Prologue了)


 

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