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量り売り→お客様が容器持参→プラごみ削減という仕組み
家業をあなたが継がなければならない
「量り売りじゃダメなのかな?」と母や姉、従業員の前で「思わずこぼれ出た」言葉がこれだった。
考えに考えた末、出てきたアイデアでもなく、ただ目の前にある途方に暮れるような処理しきれない「モノ」を目の当たりにした結果、思わずその言葉がこぼれ出たのだ。喉の奥からごくか細い声で。
その「モノ」とは、プラスティック包装袋や容器のことだ。父が1990年に立ち上げた会社は
「企業が行う教育プログラム」
設立30年。これからの10年をどうしたいか?
2022年、ジャンボン・メゾンは創業30周年を迎えた。この先10年で、ジャンボン・メゾンはどこに向かっていくのか、10年後なりたい会社の姿があるなら、今やるべきことは何か。そして一番大事なことは「私は何をやりたいか」ということだ。
そんなことを3年くらい前から悶々と考え始めた。
時代は「コロナ渦」に突入した頃。世界はAIなどの技術の進歩は目ま
「サブスクリプションへ乗せた思い」
「だったらやりたいことやるわ」
2022年の12月6日に、先代である父があの世へ旅立った。
数年前から癌を患っていて、最終的に肺に転移。手術、化学治療を続けていたが、もう長くはないだろうと感じていた。2022年の私の日記には、5回ほど「お父さん、もうだめかも」と書いてあった。最終的に延命はしなかった。なるべく苦しくないように逝ってほしいと祈り、次の日に天に召された。
生前、会社をどうして
なぜ今、ジャンボン・メゾンはサブスクなのか?
「どのように売っていくか?」
ジャンボン・メゾンサブスク12回コースをご利用いただきました皆様、いよいよラスト2回のお届けになりました。この企画を考えるきっかけになった、そもそもの理由は、
「すべての商品を完全受注販売にするには、どんな仕組みにすれば良いか?」
という疑問でした。
先代の父は、シャルキュトリーを作るのが大好きな「職人=シャルキュティエ」でした。売ることは誰かに任せて自分は作る
「旅するハム屋」と「シャルキュティエ」と「量り売りマルシェ」
「余る部位の肉を、何に加工するか」
豚の「ウデ」という部位は、ほとんどがひき肉として売られる。
ウデは体を支えている部位で、程よく筋肉が発達しアミノ酸も多く旨味があり美味しい。しかし、反対に老廃物、血管やリンパが集中していて、捨てる部分が多く、いわゆる「歩留まり」が悪い。成型にも時間がかかる。私たちは良いところも悪いところもひっくるめて、肉をキロ単位で購入している。なるべく捨てる部分を少なく
ブランドの力~アトリエ・ドゥ・ジャンボンメゾンが生まれるまで~
「なぜ添加物が必要か」
ジャンボン・メゾン入社前、私は仙台にある宅配専門の生活協同組合「あいコープみやぎ」で4年間理事をしていたことがある。担当は、石けんを切り口に環境問題を考える委員会の理事だった。あいコープみやぎは、添加物や農薬問題に厳しく、被害者にも加害者にもならず、生産者と一緒に安心で安全な食品を作ることに関しては、日本でもトップクラスで取り組んでいる生協である。
そんな厳しい目を持
「tiny company」とても小さい会社の在り方として考えたこと。
「なぜ、量り売りなのか」
私が量り売りマルシェでやりたかったことは「オーダーカットハム」だ。
会場にスライサーを持ち込み、お客様にオーダーを頂いてからカットするというもの。厚さ、枚数、グラム数などのオーダーができる。切りたてのハムの美味しさを、生産者だからこそ知っている故、この美味しさを世の中に知らせなかったら、何をもってハム屋なのか?と常々思っていた。流通するためにはパックが必要。だけどその
「ねぇ、どっちに着いていく?」
1992年.私が二十歳の時、父と母は会社を法人化して
本格的に手作りハムを製造販売し始めた。
その頃の私は美術大学の画学生。将来の夢は「画家」と断言し、家業のハム屋には全く興味を示さなかった。
私の生まれた宮城県大崎市(当時は玉造郡)岩出山は、小さな城下町だった。町中から離れた更に田舎に住んでいた私の周りで、一緒に遊べる人はいなく、おのずと姉妹で遊ぶことが多かったように思う。私はその3人