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「誰と一緒に歩むか」

「人生の転機となった出来事」

飲食店にジャンボン・メゾンの商品が納品されるようになったのは、
「ぐるなび」の当時仙台担当だった、粕谷さんとの出会いからだった。
あれは忘れもしない、私の商談会デビューの日の出来事。

宮城県主催の商談会に出向き、販売先を獲得するという「普通」の商談会。でも、私にとっては初めての商談会。夢と希望を大きく膨らませ、商談が決まる=ビッグビジネス確立くらいの期待を持って臨んだ。
しかし、その期待は超現実を叩きつけられる過酷で悲惨でプライドを蹴落とされる結果となった。
なぜなら、あるバイヤーに「このハムはは売れない」と言われたから。
しかも単刀直入に、だった。
その理由として、

①     原材料が有名な銘柄ではない。
②     ジャンボン・メゾンを誰も知らない。
③     ハム・ソーセージなんか腐るほどある。
④     どうせ同じような味なんだろ。

その時、私は確かこう言ったと記憶している。
「同じような味?…食べてから言ってもらっていいですか?」
バイヤーは詰め寄った私に、若干ひるんだが、すぐ気の強さを主張する顔つきに戻って、ハムを一口、口に入れた。
私はその時の表情を忘れない。恐らく死ぬ寸前まで。一生。

そのバイヤーがハムを一口食べた時、「これは何だ?」という表情に変わった。「不味い」というしかめっ面ではなく、明らかに「こ、これは…美味い」という表情だった。しかし、そのバイヤーは更に強気でこう言った。
「よくこんな不味い原材料で、ここまでのクオリティーに仕上げたな。それは褒めてやるよ」

私は驚きすぎて、言葉を失った。

この悔しさは将来のバネにすることにした


これが商談会の鮮烈なデビューだった。その後、悔しさと絶望から、私の目から涙が溢れてきた。泣いているところを見られたくないからトイレに行って、母に電話をした。「悔しい悔しい」と連呼して、40歳過ぎた大人が、泣くしかない状況に陥った。母は大いに笑って「お母さんもそういうとき、あったよ」と、言った。

その時、父と母の苦悩を、映像で垣間見た気がした。色々なことが走馬灯のように現れる、なんていう台詞をドラマや小説で何度も聞いたり読んだりしたけど、それまでは全くピンとこなかった。でも、いま私の脳裏に浮かんだのは「走馬灯のように」父と母の苦労と努力している姿と、その当時私が自分のやりたいことを大学でやらせてもらって幸せの絶頂にいる姿。その二つの時間が同時に存在していたことを自覚した。自分が情けなかった。


その時の脳裏の走馬灯はこんな感じだった


涙をぬぐい、気を取り直してトイレから出た時、偶然そこに立っていたのが「ぐるなび」の粕谷さんだった。
粕谷さんは、バイヤー側で参加していて、ぐるなびは飲食店と生産者が繋がる場を作るサービスを提供していた。
「少しお話をしませんか?」と粕谷さん。
「商談会って、最悪だ」と宣戦布告体制の私。
そう話したところで、私は堰を切ったように、さっき、ここであった屈辱を、粕谷さんにぶつけた。

粕谷さんにしてみたら、とんだ「交通事故」に合ったようなものだったかもしれない。トイレから出てきた私と目が合って向こうは商談をするつもりで私に声をかけたのに、商談なんかどうでもいい、まず聞けとばかりに話しをし始めたから。
粕谷さん曰く「そんなバイヤーは珍しい」と言った。あり得ない、とも。
「じゃあ、私は『はずれくじ』を引いたってこと?」
「高崎さん、逆にラッキーですよ。そんなところに大切なハムを納めなくていいことが分かったから」
「確かに。…そうかもしれないね」


大切なハムやソーセージたちを守った!


「飲食店は最高の広告宣伝」


“逆ナン”みたいな展開、後日粕谷さんが会社に来ることになった。
飲食店にハム・ソーセージを使ってもらうになんて、考えてもいなかったから、ぐるなびを通して飲食店と繋がるなんていうのは、最初からお断りだった。なぜなら、両親が過去に飲食店から引き合いがあり、値段を叩かれたという経験談を散々聞かされていたからだ。

粕谷さんによると、昔ほど値段に関して叩かれることは無いということだった。飲食店と組むメリットは自社の宣伝になるということ。メニュー表に「岩出山のジャンボン・メゾンのハム」と載っていたら、興味を持ってくれる機会は多くなる。しかも、この頃飲食店では、地産地消「宮城の食材を使用しよう」という動きが加速していた。「商談会」に出てみないかの誘いに、あのバイヤーを思い出したが「あんなバイヤーは珍しい」と粕谷さんに言われ気を取り戻した。そして私は飲食店との商談会に臨むことにした。
リベンジマッチの始まりだった。

新たな夜明けの始まりだ

「飲食店との出会い」


その後、何度か飲食店との商談会があり、こちらの条件もしっかり話して、商談は少しずつ形になっていった。私が出した条件とは、必ず「大崎市岩出山、ジャンボン・メゾン」というワードを入れること。私は飲食店にジャンボン・メゾンのハムやソーセージが他と比べてどう違うかを説明した。ハムやソーセージは完全品(アレンジがしにくい)ということで、料理人には敬遠されがちだったが、逆に一番美味しい食べ方を聞かれることが多くなっていった。私も勉強して「こんな料理がある」と提案していった。

そんな中、ある飲食店グループが積極的にハムの創作料理を出し始めた。話題になったのが「ハムカツ」だった。ハムカツと言えばピンク色の丸いプレスハム使用の薄いハムカツが思い浮かんだが、この店の料理長は「高級ハムカツ」をイメージしていた。使うハムは「コッパ」肩ロースのハムだった。このハムカツはその後、大ヒットになり、他の飲食店でも真似するようになった。コッパ以外の例えばモルタデッラのハムカツや、ロースハムのハムカツなどアレンジ品がメニューに並んだ。のちにベーコンは食材として使用され、どんどん発注数が伸びていった。粕谷さんのお陰でぐるなびの冊子(全国版)に掲載されたり、本社に行って講演会で話をしたりと、宮城以外の飲食店にアピールする場も広がっていった。

結果、多い時で13店舗と契約、週2回仙台に配達に出向いた。色々な人に「〇〇でジャンボン・メゾンのハム食べたよ」と言われるようになった。お店で食べて美味しかったから買いに来たという人もいた。わざわざ東京からベーコンを買うためだけに訪れたシェフもいた。一番喜んでいたのが地元の議員さんだった。町であった時に「お店に入ったらジャンボンさんのメニューと写真が載っていて、誇らしかった」と。これをきっかけに沢山の方と出合い、親しくなった飲食店は多数。今でも長いお付き合いをさせていただいている。特に仙台のサルメリア・コメスタの元気君との出会いはこの頃で、現在「量り売りマルシェnext journey」のレギュラーメンバーになってもらっている。

「誰と組んで、ジャンボン・メゾンのハムを知ってもらうか」


現在、ジャンボン・メゾンの商品を使用している飲食店は、より厳選されて、本当に必要と感じてくださっているところと継続している感じだ。グランドメニュー、スポットで使用する場合、イベントで使用する場合など、シーンは様々だが、発注を頂いている。

そういえば、一番最初に出会った「バイヤー」に、私はその後手紙を書いて出している。それは感謝を綴った手紙だ。
「あなたに出会ったことで、商品をどこに収め、誰と組んで商品を売るかを学んだ。今後、御社と組んで売ることは無いと思うが、どこかで弊社の商品を見かけたら思い出してください」と。


今思うと、それは決意を表明する手紙だったかもしれない

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