「ねぇ、どっちに着いていく?」
1992年.私が二十歳の時、父と母は会社を法人化して
本格的に手作りハムを製造販売し始めた。
その頃の私は美術大学の画学生。将来の夢は「画家」と断言し、家業のハム屋には全く興味を示さなかった。
私の生まれた宮城県大崎市(当時は玉造郡)岩出山は、小さな城下町だった。町中から離れた更に田舎に住んでいた私の周りで、一緒に遊べる人はいなく、おのずと姉妹で遊ぶことが多かったように思う。私はその3人姉妹の次女だった。年子の姉、3つ下の妹とは幼い頃から常に仲が良かった。
父が初