#源頼朝
押さえておきたい!日本史を彩った道長の側近たち
「光る君へ」もそろそろ中盤に差し掛かり、いよいよ越前編に突入するようです。
女院・藤原詮子(吉田羊)を呪詛したのは誰?
中宮・定子(高畑充希)が出家?
道長との過去の仲を父の為時に告げたまひろ
などなど、これらの伏線が次週以降の展開に生きてきそうで楽しみです。
さて、父に続いて、兄たちも次々と他界し、氏長者となった藤原道長(柄本佑)。
欲のない発言が目立ちますが、とんでもない。
一躍公卿のトッ
日本史の基本は平氏と平家、そして平氏と源氏。
相変わらず紀行記を執筆中なのですが、書き進む中で壁にぶち当たると、どうしても調べることに時間を費やしてしまいます💦
先日も京都・山科の「毘沙門堂」について調べると、元々の創健は行基なのですが、現在の原型を作ったのは平親範という記述を見付けました。
誰それ?
平清盛との関係性は?
なんせ平氏と言っても系図は膨大なもので、歴史家でもない私がすべてを把握しているわけもなく、有名な清盛と比べた系図
北条政子の大切なもの
今回の「鎌倉殿…」ではとうとう「比企能員の変」が起こり、比企一族が滅亡に追い込まれました。
観ていると、ふと違う角度から突き詰めて妄想してしまい、考察した事をまとめてみたいと思います。
比企能員を演じた佐藤二郎さんの演技が上手くて、あまりの憎たらしさに、思わず「殺ってやれ~」と北条の見方になってしまうほどでした。
しかし、そもそも、これは北条氏編纂の「吾妻鏡」を基本にしたストーリー仕立てで、
梶原景時はなぜ戦ったのか
前回の「鎌倉殿…」では首桶が並ぶシーンから始まってカットされてしまった「梶原景時の変」。
私としてはもう少し丁寧に描いて欲しかったと、残念に思ってしまいました。
今回演じた中村獅童さんの景時は、それまでの印象を変えてしまうほどの紳士ぶりで、頼朝への忠誠心に溢れた名士ぶりだったのに、さぞかし潔い散り方をするだろうと、内心では楽しみにしていたからです。
始まった当初は景時の最期のシーンを楽しみに
13人の選出基準の不思議
NHK大河・「鎌倉殿の13人」も頼家の代となり、いよいよタイトル通りの本編に突入しました。
早速、梶原景時を引きずり降ろす策略がめぐる展開となり、つくづく坂東の御家人というのは内輪揉めが好きな人種らしい。
13人の選出に関しては、三谷幸喜さんお得意のコミカルなテンポで描かれ、まるでノリで決めたかのような展開でした。
しかし実際の選出基準とはいったいどのようなものだったのでしょうか?
今後の「
源氏の身内争いが戦国時代を招いた?
ご先祖を辿られるなかで、どうしても史実と重なる部分もあり、その時に触れられる歴史が、簡潔で秀逸な筆致でまとめられています。
ご自分のご先祖が岡山県の八幡神社の氏子である事から、
源氏の血筋が後に「室町幕府」を創建した足利氏に繋がるという事を、わかりやすく知る事ができます。
私もずっと以前に、何かの本で知った時、「へぇ~!」と感心した記憶はあり、その時はあまりのややこしさにまとめられず、その系図
■【より道‐74】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」の整理
足利氏をはじめ、三管領のファミリーヒストリーをざっと、辿ってみると、「足利一門」は、同じ血のつながりのある一族だということをここにきて、ようやく理解することができました。
そこで、足利一門をもう一度、整理しようと思い、まずは、八幡太郎こと、源義家(よしいえ)から辿ってみることにしました。なぜ、八幡太郎かというと、なんとなくです。なんとなくですが、あえて理由をつけるとこういうことです。
岡山県新
鎌倉ほのぼの散歩 行こう坂東の子らよ【旗上弁財天】
前回までの「鎌倉ほのぼの散歩」は…
「受験応援回」を別にすると、昨年暮れに投稿したこの記事が最後。
もっ…のすごく中途半端なところで終わっています。
本来ならその続きを書きたいところなのですが、今現在はまだまだ、受験の真っただ中。記事の続きは、もう少し控えておきます。
二月下旬の今の段階。
中学受験の方々は、お疲れ様でございました。
高校受験の方は私立を頑張っているところでし
それぞれの幕府、それぞれの幕末。
「幕府」とか「幕末」と聞けば、まず浮かぶのが「明治維新」前の徳川氏による江戸幕府とその幕末でしょう。
一般的には、日本史の中には源氏の「鎌倉幕府」、足利氏の「室町幕府」も含めた3つの幕府が創設され、それぞれは新興勢力により倒され、歴史の大きな変換がありました。
そもそも「幕府」って何だ?朝廷の外にあってという事は、公家から完全に独立した武家政権が幕府であるという事。
そして驚くことに、「幕府