見出し画像

鎌倉殿のウラ史実

北条宗時は謎だらけ

宗時は、とにかく史料においても短い登場なので、何もわからずすべてが謎なのです。
それらの謎を整理してみました。

生存説

つくもさんが先週の記事で、先週殺害された、兄・宗時の生存説に触れられているのです。

ちょっと調べてみると、このような疑問を見つけてしまいました。

この伝承では宗時を挙兵当時16歳としており、それだと義時よりも年下になってしまいます。あるいは26歳だとすれば辻褄は合いますが、果たして?

出典:エキサイトニュース

そう。完全に伝承の年齢とは大きく違い、結局別人なのか?
それとも単なる作り話なのか?


ドラマ通りに死亡説をとるなら、辻褄があわない事があって、これがまた謎だらけなのです。

一、死亡場所と墓所が違う
死亡した場所は石橋山近くの早川ですが、墓所はなぜか静岡の函南かんなみにあるのはなぜ?

二、討った人がハッキリしない
ドラマでは祖父である伊藤祐親の下人・善児となっていますが、
小平井《おびらい》久重とも伊豆吾郎助久ともいわれ、はっきりしない。

三、なぜ別行動をとったのか
ドラマでは、頼朝の大事な仏像を取りに戻ったとありますが、どう考えてもこじつけの理由です。
実際の所、なぜ単独行動をとったのかは、最大の謎なのです。


そもそも嫡男なのか

宗時が義時の兄という事は、この時点では北条家の跡継ぎとなる嫡男という事になります。

しかしながら、そうなるとまた謎が浮かび上がります。

一、北条家では代々嫡男が「四郎」を名乗る
父の時政もそうであったように北条は代々嫡男が「四郎」と名乗り、ドラマではそれは義時であり、その兄の宗時が三郎となっているのは、もしかしたら、さらにその上に兄が二人いたのか?

たとえば、後世の織田家では、信長が三郎と名乗っていますが、実際に父・信秀の三男だったし、母親の身分により生まれた時から嫡男としてしています。

では三郎宗時は嫡男ではなかったのか??
もし嫡男だったら、四郎と名付けるのが普通です。
最初から、北条家を継ぐ者ではなかったのか??


二、石橋山の戦いから20年以上も経ってからの供養
なぜか、頼朝の死後で20年以上も経ってから菩提を弔っています。
確かにドラマのように秘密裏に暗殺されていたなら、本当に死んだのか、はっきりしないわけで、もしかしたら先になって死を確認できてからの供養だったのかも。
もし、生存説が本当なら、本当に20年生き延びていたのかもしれないということも考えられます。



寝返り重臣・梶原景時

不思議な縁で、鎌倉に居住する事になったおりーぶさんは、
今回の大河ドラマでの冒頭の通り、石橋山で合戦後に山中で隠れていた頼朝をわざと見逃した梶原景時に触れられています。

永井路子さんの「炎環えんかん」より、景時の鎌倉幕府内の立ち位置も考察され、後に登場する弟。義経に関してにも触れられていました。

永井路子さんは私も大好きで、「炎環えんかん」は読んでいませんが、何冊かは読み倒して歴史をさわがせた女たちシリーズや浅井三姉妹の「乱紋」などはとても記憶に残る作品です。


頼朝を見逃した時から裏切者

中村獅童さんふんする梶原景時が、ししどのいわやに頼朝が潜んでいるのを見つけるも、味方には「誰もいない」と嘘をつきます。

この瞬間から、景時はりっぱな裏切りもので、この先の展開に繋がる決定的な事でした。
ではなぜ、景時は頼朝を見逃したのか?

一、元々の血筋は源氏直系なのに今の境遇に同情しのたか?
二、実は平氏の横暴な執政に不満を持っていたか?
三、頼朝の将来を予見または期待したか?

いずれのどちらかではないでしょうか?
今後の展開で、ドラマ内での理由は明かされると思いますが、いまのところ私は3択ぐらいしか浮かびません。

しかし、この時の景時の決断で頼朝は大きく命拾いをしたことに間違いなく、この時に捕らえられていたら、「鎌倉幕府」は存在せず、歴史が大きく変わっていた事は確かです。


義経をおとしいれる

次回あたりから登場しそうな頼朝の弟の義経。
彼の力により平家を滅ぼす事ができたにもかかわらず、兄の頼朝は冷遇した挙句に、滅ぼしてしまいます。

司馬遼太郎さんの「義経」によると、彼はとても無邪気で、とにかく空気が読めず、始終、頼朝の神経を逆なでしたとあります。

しかしそのウラには、その時に重臣であった梶原景時による讒言ざんげんがあったのも理由のひとつなのです。

頼朝はかつて見逃してくれた景時に対して、絶大の信頼を寄せていましたから、景時の言葉は、血は繋がっているとはいえポッと出の異母弟より信憑性があったのでしょう。

とにかく、合戦には天才的なひらめきで行動する義経は、重臣や御家人から見れば勝手な行動にしか映らず、そのうちの一人である景時にとっても疎ましい存在であったのです。

ついに義経を討ち、その時に首改めをしたのも、景時でした。


裏切者の末路はいつの世も悲惨

いつの世もそうですが、裏切者には必ず悲惨な末路があります。
景時もその例外ではなく、やがて頼朝が没すると、事態は変わってきます。

義経の場合と同じく、次期将軍となった頼家に結城朝光ともみつの事を讒言ざんげんしようとしたら、今度は逆に有力御家人から大きな反感を買い、これをきっかけに鎌倉を追放されてしまうのです。

そう何度も同じ手は通用しない。

景時は反乱を起こしますが、一族もろとも完全滅亡させられてしまいました。(梶原景時の変)

梶原景時は権利欲の強さや弁舌の巧みさ、そして明晰な頭脳を持ち、頼朝の絶大な信任を得たものの、その高い能力ゆえに滅びてしまったのも事実なのです。


大河ドラマの今後の展開

それらを含め、今後の大河は見どころがいっぱいです。

三谷幸喜さんという事で、期待半分でしたが、なかなか笑わせながらもリアルなところもあり、不明なところは自論を展開しているようです。

歴史というのは、先の筋書きは決まっているため、
どのように解釈して、
どう描くかが、
大きな見どころ
です。

これから上記の見どころも含めて、三谷さんの脚本はどう描いているのかがとても楽しみです。




先週も皆さんのおかげでお祝いを頂きました。
ありがとうございます!



この記事が参加している募集

#テレビドラマ感想文

21,514件

#日本史がすき

7,208件

サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。 どうぞご協力よろしくお願いします。